2012年 08月 08日

矢車草 ひとつ

世の中は幸と不幸の
ゆきわかれ
あれも死にゆく
これもしにゆく
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これは
大田蜀山人(しょくさんじん)というお方の狂歌じゃげな。
いつじゃったか、紹介しているサイトを見たことがあった。
そのサイトによると・・・

蜀山人が婚礼に招かれての一首。花嫁衣裳の一行が歩いていると、
たまたま向こうから葬式の列がやって来る。
これを見た花嫁団体の一人が蜀山人に歌を所望する。
請われて詠んだ狂歌。
一瞬、何の事か分かりにくい。じっくりと考えると笑える狂歌。
昔、大笑いして読んだ覚えがあるけれど、すっかり出典を忘れてしまった。
歌だけはしっかり記憶に残っている
云々

・・・

紹介していたお方は、
こげにこの歌の可笑しさを称えておられた。
蜀山人が、この歌を詠んだ時、「実はわれも・・・」
と、自分もその中の一人であると
勘定に入れていたかどうかはわしの分かるところのものではないが、
折しも、息子Kの婚礼の際に、似た場面に遭遇した。

「おばちゃん、母ちゃんが、結婚式に出られんようになった」
Kの結婚式に出席できると心待ちにしていたのに、様態が悪化し、
よしねぇは元より自分自身も出席ができるかどうか分からない状態に陥った、、
と甥っ子のひろくんから電話が入ったのが結婚式の6日前。

「母ちゃんも、結婚式にはと楽しみにして何とか頑張ってきたけど、もうあかんゎ。
最悪の場合、俺ももしかしたら行けんようなことになるかもしれん。
けど、母ちゃんの席は、そのままにしておいて。
様子をしっかりビデオに撮って帰って母ちゃんに見せてやりたいけん」
しかし、ひろくんは、落ち着いた声で伝えてくれた。

2年半前に病の宣告を受け、わしの携帯に連絡をしてくれた時の
動揺がまる分かりの声とは全く違うていた。
あの時は、「まさか母ちゃんが・・・」
と、状況が受け入れられない気持ちと、
「母ちゃんがこんな病に侵されて俺はどうしたらええんや」
という不安で一杯の声じゃった。
が、2年半という年月や、
よしねぇと家族の闘病の日々の暮らしがひろくんに
「覚悟」をつけてくれたんじゃろうと、わしは思うた。

その電話の日以来、でぶにぃは姉ちゃんのおる病院まで足しげく通うた。
行けん日もありはしたが、ほとんど毎日のように通うた。
わしも同行する時もあったが、
そのごろには、姉ちゃんは既に片方の目でしか物が見えてなかったが、
精一杯話をしてくれた。
それがよね、

此処だけの話だが(ひそひそ)あのでぶが、
姉ちゃんの手を握り泣きながら話しよった。

姉ちゃんが元気なごろは、ぼれぇ仲が悪い二人じゃったのに、
病魔に侵されつくしてしまった姉ちゃんの手を握るとはっ!!=( =`д´= ;)⇒
わしもびっくりじゃったが、一番びっくりしたのは、
恐らくよしねぇじゃったと推察される。
その光景を見たわしは、
一年前のちょうど今頃の
ばあちゃんと、
スミ子叔母とたかえ叔母の3人のコラボ
を思い出しておった。( ̄▽ ̄)

でぶは、やはりばぁちゃんにくりそつじゃ。
余計に涙鼻汁をそそるゎ(-公-、)(ノДT)アゥゥ
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そげに大切なんじゃったら、何で元気なうちから仲良ぅしとかんかったんやーっ!!
(ノ`A´)ノ ⌒┫
と、地団太を踏んでもしかたがねぇんじゃけどの( ̄-  ̄ )
こまいごろから、二人は、ぼれぇ仲が悪かった。
よしねぇは、「でぶにぃが私のことを寄せ付けん」と言い
でぶにぃは、「姉ちゃんは出来が良かったけ、わしなんか傍にも寄れんかった」
と、言う。
お互い、遠慮しとったんかのぅ。
二人ともばかじゃ( ̄・・ ̄)
でも、よしねぇ、
「病気がひどうなって、入院して、でぶにぃと
初めてこんとにゆっくり話ができて、私ゃぁ、よかった^^」
と、ひろくんやみかちゃんにぼれぇ嬉しげに言うておったと。。
でぶにぃはでぶにぃで、
「姉ちゃんが今まで生きてきて、こげな思いでおったとは、知らんかった」
と、よしねぇの苦労がどれだけのものだったかを知ったでぶ。

ここに来て、お互いの気持ちを確かめ合うことができた姉弟じゃった。
病気のおかげで初めて素直に向き合うことができた二人じゃった。


で、結婚式当日
式を終えて披露宴に突入したが、
でぶは恐らく、心ここにあらずであったと思われる。
頭の中はもう姉ちゃんのことでいっぱいであったと。。
とにかく、「一秒でも長く姉ちゃんの傍ににおりたい」
そげに思うとったに違いない。


案の定ひろくん、披露宴の途中で、帰らざるを得ない状態になってしもうた。
宴が、楽しく感動的に盛り上がる程につれて、
姉ちゃんの様態が寂しげに感じた。
ひろくんや姉のみかちゃんも、気が気でない、
「笑うたり泣いたり心配したり・・ぶち忙しかったぃね」と、
こないだの49日の法事で会うた時、当時の気持ちを語っとった。
関係ない話だが、みかちゃんは、山口県のとある地域に嫁いでいるので、
語尾に「ぃね」が付くのだ。

で、式の翌日、Kとかなちゃん、ちびにぃ一家、
ばぁちゃん、S子一家やらでぶわしも加わり、
皆総出で姉ちゃんの顔を見に行った。
この時は、まだ、意識もありしっかりと話もできた。
よしねぇも、かなちゃんに会えて喜んどった。

その10日後によしねぇはとうとう…。
まさに蜀山人のあの狂歌の通りになった。
が、、

決して笑えん(;一_一)
笑いの代わりに出るのは涙ばかりなりけりじゃ(-公-、)

思えば2年半前に病の宣告を受けて以来
その日だけ

いつやって来るかも分からない
その一点だけを見つめて生きてきたよしねぇのことを
どうして笑えようか。

宣告の日以来よしねぇは、治療の合間に
行ける処には万障繰り合わせ行って顔を出し、
出来るだけ多くの人との関わりを持つようにし、
色々なことを経験しようとしていた。
が、しかし、がむしゃらさもなく、
それらをゆっくりと丁寧に優しく
かみしめながら味わうように
日暮ししているようにも見えた。
去年の直方行もその一つだ。
K山の同窓会へも極力顔を出していた。
京都、奈良、東京、九州新幹線に乗って熊本にも行った。
入院の約2ヶ月前にも、
ひろくんやら若い子らと一緒にわしん家に遊びに来てくれた。
花壇を耕して花の種も植えたりした。
そうこうしているうちに、2年半などあっという間に経ってしもうて、
とうとう来るべき時がきて、最後の入院となった。

つづく
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by chirumegu | 2012-08-08 17:20 | 生きとるね


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