カテゴリ:生きとるね
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    [ 2012-05-26 14:48 ]
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    [ 2012-05-08 11:11 ]
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    [ 2011-06-19 09:39 ]

2012年 05月 26日
入院談 ~番外編
「最終章」じゃことの言うて
これでもう終わりじゃの・・・

と思わせといて、番外編を書いて
フェイントかけてみる( ̄▽ ̄)

てか、
ぶーびー章を書いた後、
しまづた!!
これを書かにゃいけんかったんじゃっ!=( =`д´= ;)⇒
と、わしの計画性の無さにあきれ果て
後悔の渦に溺れ、
しょうかたなしに、「番外編」と題して書いておるしだいで
すみません、わやくそで…(^^ゞ


で、
最後に同室じゃった透析をして苦しげにしよって
食事を喉につまらせ死にそうになったおばぁさんの名前、

やっと思い出した。
82歳のミヤチさんじゃった。

このミヤチさん、
若い頃は産婆さんをしておられ、家が診療所じゃったという。
夜昼なく産気づいた若いお母さんらを診て
何人のやや子を取り上げたか分からんぐらい
忙しぅしとったと。

自らに於いても3人の子を持ち
育てて一人前にしてゆかねばならない。
しにものぐるいで働いた。

それが今では病気になり自分が病院の世話になり
家に帰れば50歳代の娘と二人暮らしで、

「いっつも娘に怒らればぁしよる。」
と、こう仰る。
「自身の娘じゃけね、ひでぇことも言うじゃろぅよ。
じゃが、おばぁさん、家に帰りたかろ?
そうは言うても、本音は待ちよってよね、娘さん。」
と、言うと
「待ちよりゃせんゎ。うちゃぁ、家に帰ってもやっかいもんじゃけ、
ここにおってもやっかいもん、帰ってもやっかいもん。。
ほんま、ええこたぁないよね」
つっぱねられ、
きれいごとは通じんかった(-公-、)

そげに仰る若い頃働き者だったミヤチさんのベッドの頭の上の壁には
ディサービスで撮ったおばぁさんの
誕生日のお祝いの時の満面に笑うた
楽しげな写真が
デカデカと飾られておった。
それとは対照的に違い
ベッドに横たわる病の苦しみに顔を歪めるミヤチさんは、
使い切って捨てられる寸前のぼろきれのように見えた。

ほんま、きれいごとではない。
わしの行く末を見とるようじゃった。
わしもミヤチさんみたげになるに決まっとるんじゃ
ぜっぴ・・・
どぉしよぉっ、
嫌じゃのぅ…=( =`д´= ;)⇒

よくよく思い起こせば
人生の先輩とも言うべき大好きなしげちゃんが昨年の5月に
病に倒れ入院してからというもの
晩秋の霜月にはS子がすぅを連れ帰り仕事と子守りの日々を送り
そのS子が正月挙句には出産。
いのちの誕生を垣間見ると同時に
大好きなしげちゃんも旅立ち、
次女R子が転職、
次男Nも就職みたげなことが決まり、
産後のS子の世話やすぅの子守りに明け暮れし
今度はわし自身、病に倒れ入院、そして退院。

へぇでからに
わしもてべてべとではあるが仕事に追われ(←意味不明じゃが)
それでも目まぐるしく時は流れ、
息子Kとかなちゃんの結婚。。。
それと並行するように
瀬戸の海を越えたところの愛しいお方が
今まさに死の淵に立たされ
今まさに散ろうとしとる。
更にドラマは続行ちぅ。

人が生まれ、成長して恋をし、仕事を得、結婚、老いを生き、病を得
そして、死・・・
その過程をすべて凝縮した人生の縮図みたげな
この一年間であったよぅな。。

病はわしの経験でもあったが、
人は生まれ、そのいただいたいのちを生き
人生の終結に至るまでの過程を
この境涯は、
幾度となく繰り返してきたであろうか。
廻る廻る。。

それは、他人事ではない
まさに、このわしの一大事じゃったんやんけ!
老いはまさに今わしの只中にあったんやんけ!
これは分かり切った決まり事であるが、
ともすれば忘れがちになり
てか、
おざなり
てか
わざと…そらし目を向けようとせず
いっちゃん大切なことなのに。


しげちゃんやら、わしん家の子供らやら孫やら
死の淵に立っとるわしの愛しい人やら
入院中のツチハシ翁やらミヤチさんやら
他のおじぃさんおばぁさんに触れさせて貰ぅて


このわが身のいのちが
どこからやってきて
どこに居って
どこに向かって居るのか
一連のお方らが身体ごめぜんぶで
教えてくれたような気がして
で、ちぃとばぁ、安心できた



・・・よぅな




・・・気がする




・・・だけじゃけど




ちゃんちゃんっ♪^m^


老いてやっかいもんになるのが嫌じゃ思いよったが、
しょーがねぇのぅ、
ちっくし老いてやるかぁっ♪
どげに老いてやろぅかのぅ…♪
と、諦めることができた。
暗げに
若さに執着しとったのに・・・
すこぶる明るぅに
老いを受け入れられるようになった
今回の入院で・・・
てか、
1年前からの、
わしに関わってくださったみんなのおかげで、
ありがとう^^

ほうよね、ほうじゃったんよね
「散る桜もまたさくら」じゃったんじゃ。
歯向かわず
力まず
老いのいのちを
歩んで行きゃぁ
ええんじゃゎぃや^^v
散る桜のように。

じゃけん、
手始めに・・・
もう、、
頭の毛は染めんけんの
今より後は
白髪のわしを生きて行きます。

以前のわしを知っておるお方々で、
今度いつかわしとお会いするお方々・・・

びっくりしんさいよぉ~~っ( ̄-  ̄ )





これで、入院談は、本当に終わりにします。
如何にいうても
入院談は、
もうええ。
飽きたわぃや( ̄-  ̄ )


長々と、
すみませんでした
そして、
お付き合いくださり
ありがとうございました<(_ _)>

by chirumegu | 2012-05-26 14:48 | 生きとるね | Trackback | Comments(2)
2012年 05月 08日
入院談 ~最終章
入院中に出会った多くの方々…
あの方もこの方も
その後どうしよってかのぅ
もう、元気になっておられるじゃろぅのぅ( ̄-  ̄ )←思い出しよる

と、気にしよるが、
中でも最も気になるお方のお一人にツチハシという翁がおる。
ICUにおった10日間で一番目立つ翁じゃった。

前回の記事で、「おじぃさんは、おらぶ」と、書いたが、
この翁もようおらびよった。

「う(ぴー)こが出た!」
から始まり、
「今日は、リハビリの先生来んのんかぃのぅ。」
「リハビリの先生だけじゃ、わしのことを分かってくれるのは。。」
とか
「きれぇな空気が吸いたい きれぇな空気が吸いたい」
ずっとこれの繰り返しの時もあった。
肺を悪くされていたのか、よく痰が出て苦しそうじゃった。
看護師さんに吸引してもらうと
「あぁ楽になった、、、ありがとぅ。げほげほっ」
と、丁寧にお礼を言うておられた。

しかし、えぇ時ばかりではない。
苦しぅて、しんどぅて、夜中に大きな声で看護師さんに
「苦しい、早ぅ痰とってくれ、痰とってくれ、痰とってくれぇ~~っ!」
と、何度もせがみ、困らせることもしばしばじゃった。
そげな時は、
「ツチハシさんっ!他の患者さんは、寝よってんですよっ、
大きな声を出さないでください!!痰を今からとりますから、
静かにしてくださいね!」
看護師さんの中でも最も優しぅて気立てのええまどかちゃんが、
他の患者さんに聞こえぬようにひそひそ声で諭すと
翁は間髪入れず
「うん」
と、まるで小さい子がお母さんの言うことに相づちをうつかのように
急にええ子になる。

が、時には、
「お~ぃ、きよこ、きよこ、きよこぉ」
と、突然おらぶ。

女の名前かぁ?=( =`д´= ;)⇒

「こっちけぇ~」←「こっち来い」言うことよ^m^

「きよこぉ、
きよこぉ
きよこぉ
早ぅけぇ言うんどぉ
やることがあるんじゃっ!!」

何をやるんじゃろか、じぃさん、ここはICUなのに。。

しばらくこげな連呼が続く。

「きよこ、きよこ、きよこぉ」

きよこがどした言うんならっ、じぃさん!
で、しまいにゃ、

「きよこ」
「きょうこ」
「けいこ」

名前の三段活用かっ(● ´艸`)ププッ
と、思うぐらい変化して、ただの色ぼけかと思うておった。

が、違うとった。。
これは想像なのだが、
おそらく奥さんが病気で、そこに来られない状態か
或いは既に他界しておられているか
いずれにせよ、
寂しぅてずっと会いたがっておったのではなかろうかと。
「きよこ」は妻の名だ、きっと。
きよこが、いつのまにか「けいこ」に変わっていくのが
何かしらかわぃげであった。

で、翁、時には、
てか大抵寝られんことが多いのだが、
おらんで寝られんのか、
寝られんけ、おらぶんか、
よう分からんのだが、
しまいにゃ

「いぃち・・・にぃぃ・・・さぁん・・・しぃぃ・・・ごぉぉ・・・ろぉぉく
しぃち・・・はぁち・・・くぅぅ・・・じぃゆぅぅ・・・
じぃゆぅいぃちぃ・・・・じぃゆぅにぃ・・・」

げっ、、数をかぞえよる
しかも延々と…(;´д` )

わしもその晩、寝付かれんかったんじゃが、
翁が、数えよるのを聞きながら、最初はおかしぅて、
かわゅぅて、、、(● ´艸`)

が、、、

いつのまにか、、、
気が付いたら朝じゃった(´.ω.`) 人(´.ω.`)
その朝は、嬉しぅて、目覚めがよかったゎ^^
ありがと、おかげでよぅ寝られたで、ツチハシさん(゜▽゜人)

へぇで、ツチハシ翁の「おらび」は、
しんどいために魘されておるのか
それとも寝言なのか、
最後まで分からず、じゃった。。

話は変わるが、
入院したその時から、
患者はみんな

自分の名前、
住所
生年月日
年齢
ここはどこか
の、5項目を1日6回言わされるというきまりがあり
わしも言うておった。

「お名前は?」
「ちるめぐです」
「住所はどちらですか?」
「世羅郡S町K山○番地です」
   ↑   ↑
既にばればれなのにあくまで「S町K山」
でしらを切りとおす( ̄-  ̄ )シラァ~

「生年月日はいつですか?」
「昭和3○年1○月○日です」
「何歳ですか?」
「54歳です」
「ここはどこですか?」
「みつぎ総合病院です」
と、いう風に
コンチもコンチも言わされよった。

そして、このツチハシ翁も言わされておった。

「お名前は?」
「ツチハシ○○」
「生年月日は?」
「昭和○年○月○日」←よう聞き取れんかったし(;一_一)
げっ、わしのじぃさんと同い年じゃ=( =`д´= ;)⇒
「何歳ですか?」
「83歳」
「住所は?」
「広島県御調郡市村大字市(いちむらおおあざいち)」
「ツチハシさん、今は御調郡じゃなしに尾道市よ、
ほぃで、市村じゃなしにみつぎ町で、
大字は言わんのんよ^^」
看護師さんが優しぅに言うと
「あ、間違えた、尾道市みつぎ町市○番地」
翁は、正確に大きな声で答えなさった。
ふぅ~ん、この近くなんじゃ( ..)φメモメモ

それを聞いてわしゃ、益々この翁に親近感を覚えたものであった。

ある時など
「あ~ぁ、わしゃ、どぅしようかいのぅ。。
金がないかもしれん。
寺の御正忌に参って
帳場に座っとりゃ、寺から『心付け』ないとくれるのに
ここにおったら貯まるどころか金がいるばぁじゃ、
わしゃ、払えんかもしれん。どうしようかいのぅ(-公-、)」
「ほんま、どうしようかいのぅ(-公-、)」

翁がそう落ち込んでおると、すかさず若い看護師さんが、
「大丈夫よね、ツチハシさん、
国がちゃんと払うてくれるよぉね。安心しとき^^v」
「うん」
聞き分けのええツチハシ翁じゃった(● ´艸`)

でも、この会話を聞いて
へぇ~っ!!ツチハシさん…お同行なんじゃ=( =`д´= ;)⇒
と、びっくりじゃった。
病院でしかもICUで、「御正忌」と、いう言葉が聞けるとは思わなんだ。
嬉しさと驚きでいっぱいじゃった^^

しかもツチハシ翁…

「ほんがんじぃまいりてぁぁ、ほんがんじぃまいりてぁぁ、ほんがんじぃまいりてぁぁ、
ほんがんじぃまいりてぁぁ、ほんがんじぃ・・・まいりてぁぁ、ほんがんじぃ…」
このセリフは数え切れんぐらい連呼しよった。

ある時など

「ほんがんじょうじゅ、ほんがんじょうじゅ、ほんがんじょうじゅ、ほんがんじょうじゅ、
ほんがん…ほんがん…じょうじゅ…ほん…」

寝言ではなく、本気で言よった。
そして、ツチハシ翁、
連呼するのが癖らしい。

身体がいよいよしんどぅなってきて、しまいにゃ、

「しんらんしょうにん、しんらんしょうにん、しんらんしょうにん、
しんらんしょうにん、しんらんしょうにん、
・・・しんらん、
しんらん、しんらん…しんらん、
・・・ちゃん…」

親鸞聖人に、「ちゃん」じゃと。。
わしじゃあるまいに=( =`д´= ;)⇒

翁の身体がしんどぅなりゃなるほど
言葉がコアに近づく。。

わしゃ、どげなお方なんじゃろぅと、
この翁の顔が見とうて、見とうてたまらんかった。

が、とうとうお会いできずじまいで退院するはめになってしもうた。
そして、この翁に一連の言葉を連呼せしめた師匠寺というもんは
どこの寺なんじゃろぅと芯から知りとぅなった。。

ぼれぇ最高のご教化やんけっ!=( =`д´= ;)⇒

も、もすかすて
みつぎのこうどうさん?
すげぇゎ=( =`д´= ;)⇒
なんちて(^^ゞ

退院してからもう1ヶ月以上経つというのに・・・

どぅしよってかのぅ・・・
ツチハシさん。。( ̄▽ ̄)

と、毎日思い廻らすわしであった。

今回の話…
業界用語がほとばしりで
分かりにくかった方もおられたことでしょう。。

す、すみませんでした<(_ _)>

by chirumegu | 2012-05-08 11:11 | 生きとるね | Trackback | Comments(24)
2012年 05月 01日
入院談 ~ぶーびー章
病院の集中治療室・ICUは、大方ナースステーションの隣にあるが、
わしが入院していたみつぎ総合病院の集中治療室・ICUは、
ナースステーションを広くとりその中にあった。
そこは空いていただろうという空間に
10台ほど点在させられたベッドはすべてカーテンで仕切られており、
わしは、その一番奥に投げ込まれるようにして寝かせられた。

以前の記事にも書いた通り、そこで10日間過ごしたわけだが、
その間中まるで
救命病棟24時とか言うドラマのキャストの一員になったよな気になっていた
アリエンガ( ̄▽ ̄)

救急車で運ばれMRIを撮り、その直後に
看護師さんが、
手早く血圧や熱を測り、
わしが来ていたパジャマを手際よく脱がせ
それから院内着に着替えさせ
ハルンバッグをつけてくれた。
その後、なんやらかんやらしてくれたが、
覚えてねぇゎ(;一_一)
覚えとるのは、
わしの目をこじ開けその目に向かって
ペンライトを照らしゆっくりと左右に振り
瞳孔が正常かどうかを調べてくれたということぐらいかの。

「ごめんなさいね、ちるめぐさん。眩しいけど、我慢してぇね」
優しく言いながら覗くその人の目は
じぃっと真剣に見開いてとても美しかった。
頭が、くそ痛かったわしには、まるで天女が降りてきたのかと思えて
この時ばかりは、心地ええ気がした。
名前はよう覚えんかったが、
このべっぴんがいっちゃん最初に会うた看護師さんであった。

皆さんもご存じであろうが、ICUでは
面会も家族のみで、一人ずつで5分間のみ。
しかもICUに入る専用の胴着とキャップとスリッパをつけて
おまけに手や身体、足に至るまで
アルコールで消毒して入らなければならない。
その胴着とキャップは淡い水色しとった・・・


これを、、、


つけてKやらでぶがつけて入ってきたら・・・


特にキャップ・・・(● ´艸`)ププッ



他の人らがおるし
笑うたらいけんけ、堪えるのにわしゃ苦労したゎぃや
_( ̄▼ ̄)ノ彡☆ばんばん!

あ、いや全然関係なかった<(_ _)>

ICUでは、ぼれぇよぉけの看護師さんがおった。
頭がぼぉーとしとって
何人か数え切れんかったんじゃが、
そのよぉけの看護師さんらが、
座ってぺちゃっとるところを見たことがなかった。
何か知らんが、いっつも動き回っとった。
てかいっつも走りまわっとった。
昼間はもちろん、夜中じゃろぅが四六時中。
ICUの中の患者さんの見回りが終わったら
一般病室の患者さん。
やっと見回りが終わった思うたら
ナースコール。。
で、それで終わりか思うたら
それぞれの患者さんの点滴をやりかえる作業。。

へぇで、日替わり定食みたげに救急患者がやってきて
また、わしみたげにICUに放り込まれる。

こげなけん、看護師さんが足りんのんじゃのぅ。。
分かり切ったことじゃったが、
同じ部屋でその実情をまざまざと見せつけられたよぅな。


コンチもコンチも救急車で運ばれてくる患者さんは
わしとあと2人の同年代のおばさん2人と小学5年生のHかちゃんの
計4人以外は、
何故か75歳以上の後期高齢者のおじぃさんばっかじゃった。
じゃけん、看護師さんらは、必然的に努めて声がでかい。
耳が遠いけんのぅ、、おじいさんら…^m^
何でか知らんけど、おばぁさんよりおじぃさんの方が
圧倒的に多かった。

おじぃさんは、どの人もこの人もさみしがり屋じゃった。

特に夜中は奥さんも帰っていかれるので、たいがい
おらびよる。
「おらぶ」…分かりるぅ^m^
広島弁で「叫ぶ」言うことなんよ。。

おじぃさんは、一人だけじゃのぅて、
仰山おるけん、看護師さんも座る暇もねぇゎね。
でも、どの患者さんにも平等に接してあげよった。
ICUから出て5日以上が過ぎて退院の声が聞こえ始めたごろ
5年生のHかちゃんが退院して代わりに82歳のおばあさんが入ってきた。
このおばあさんは腎臓が悪く入院して1日おきに透析を受けておられた。
透析を受けたその晩は、一晩中唸っておられた。

その日も透析があり、おばあさんは、朝ご飯も抜き、
昼ごはんは透析がずれ込んで遅ぅなって、食べられんかったし、
晩ごはんは透析後の名残りでぼれぇしんどうて就寝前頃になって
ようよう食べる気になったらしぃ。
で、おばあさん、
「食べにゃいけまぁのぅ、、しんでぇが、食べてみるゎ」と、
頑張って食べ始めた。
若ぅてシャキシャキの看護師のオオマエさんが、
「ほんじゃ、私は、他の患者さんのところに行っとるけ、
何かあったらこれを押してぇね」
他の病室から呼ばれてオオマエさんは、
そう言いながらナースコールをおばあさんに渡し
はるか向こうの病室までかけって行った。

し~んと音のする中
カーテン越しに聞こえてくるおばぁさんの食べる音。
かちゃかちゃ
ずぅーこ ずぅーこ
スプーンと食器がすれ合う音やらすする音。

そのうち色んな音が聞こえてきだした。
「ふむ」「ふむ」「ふむ」「うん」「ふんが」
・・・「んぐっ」「むっ」
何か変=( =`д´= ;)⇒

わしもベッドから起き上がりカーテンをはぐり
「どしたん、おばあさん!!もう食べれんのじゃねぇん?」
声をかけたが、おばぁさん、それでもまだひたすらスプーンで口に運んどる。

急いで廊下に出てみるとさっきのオオマエさんが
他の病室に向かって走りよった。
「オオマエさん!!おばあさん、何か変なよ」
すぐにオオマエさんは、来てくれ、おばあさんを看てくれた。

「おばあさん!どしたん、もうこんとに食べたん?」
オオマエさんは、器の中の料理があまりにも早く減っているのに驚く。
「ちょっと口の中見せてみ!」
「うゎっ!!!!どしたんね!中が見れんぐらい詰め込んでからにっ!!」

おばあさん、
もう就寝の時間じゃし、
迷惑かけたらいけんし、
今日は朝から何も食べてないし、
元気つけよ
と、そう色々思うたらしい。
で、いっぱい、いっぱい、いっぱい
早ぅ、早ぅ、早ぅ
と、一生懸命食べようと詰め込んだんじゃろぅのぅ。。

オオマエさんのおばあさんの口への検問はひたすら続く
「うゎっ!!ちょっと春菊のおひたしが噛めてないじゃん
うゎっ!!しいたけも、たけのこもじゃんっ!!
こんとによぅけこの口に入ったねぇっ!」

オオマエさん手羽・・・リアル(;一_一)

「もぅぅっ!!・・・いけんっ!」
「おばあさん、これじゃ、透析をがんばってしても、こんとな食べ方しよったら
意味ないじゃん!!何のために透析するん。
少しずつゆっくり噛んで食べにゃ、死んでしまうよっ!
うちゃぁ、どぅしたらええんね、
おばあさんが、死んだらどうしたらええんねっ!(ノ`A´)ノ ⌒┫」
「あったまきた!ごめん、おばあさん、今から厨房に言うけんね、
美味しぅないけど、ミキサーにかけてどろどろのご飯にしてもらうけ。」
「ちるさん、ありがとう、おばあさん、死にかけよったんよ、ほんまにありがとう!」
そう言いながらおばあさんの食べこぼしや、出したものをきれいに片づけて、
今度はナースステーションに走っていった。

オオマエさん、本気でおばあさんのこと怒りよった。
おばあさんのいのちに本気で向き合ぅとった。
わしゃ、隣のカーテンのベッドで売る売るきた(-公-、)
オオマエさんみたげに生きたいと思うた。

オオマエさんだけじゃなしに、
みつぎ病院の第2病棟の看護師さんは、皆本気じゃったです。

すみません、コメント欄…
また閉じさせていただきます。
でも、今回が最後です。次回は、
開けられると思いますので、よろしくお願いいたします<(_ _)>


by chirumegu | 2012-05-01 20:29 | 生きとるね | Trackback
2012年 04月 16日
入院騒
その日も朝から慌ただしく、
一日中外出しとって、帰路に着いたのは5時前じゃったと思う。

それから晩ごはんの準備にとりかかった。
何を作ったのか覚えてはいないが、
手抜き料理がめちゃ②得意なわしにしてみれば、
手の込んだものじゃったような…( ̄▽ ̄)

作り始めて
「しもうたっ!!このレシピのぶにに
せにゃぁえかったゎぃやっ=( =`д´= ;)⇒!!
た、たいぎぃのぅやぁ(;´д` )」

と、後悔の渦に溺れたのを覚えている。

へぇでから、
何かよう覚えてないもんを晩ごはんにいただいて、

さて、お琴でもやろっかのぅ・・・
と、思いよったら、でぶの奴が、
「おい、ちるっ。頼んどいたぶに、あれよ、あれっ!
やってぇてくれぇ。」

げっ!わ、忘れとったやんけ=( =`д´= ;)⇒

1ヶ月前からでぶに頼まれておったパソコンでの作業
思い出したでぶにせがまれ
しょうことなしにやった。
1時間
しかも火の気のない場所で
その日は、丁度ええ具合に、
ぼれぇさBぃ日じゃった。
しかも、その作業が思うように完成できんかったという落胆と相まって
わしの体内の欠陥・・・じゃねぇゎ、
血管はおそらく最少と言うてええぐらいに
縮こまっとったに違いない。

自分が作業が出来んかったのを棚に上げ

「ふんっ!もぉっ!知らんっ!ふんっ!さBぃしっ!
風呂ぇ、入って一杯呑んで寝るゎっ!!(ノ`A´)ノ ⌒┫」
と、

やけくそになり、風呂に入ったんがいけんかった(-公-、)

風呂の湯船は温ぃが、
洗面所、風呂の部屋の温度は震え上がるほどぼれぇさBぃ
思い出しても・・・ぞぉぉぉぉ~~~っ!=( =`д´= ;)⇒

縮こまっとった血管が
一気にまた硬ぅなっていくのが分かるぐらいさBぃかった。
身体を擦りよる間に

うぅぅぅ・・・
な、なんか変じゃ( ̄ii ̄)ハナヂヌケソ
さぶ杉じゃ。

ちょっち温もろぅか、
と、いきなり湯を身体に流してしもうた。
そこで、固く縮こまった血管が一気に膨張したんじゃろうて。
「ぱりんっ」
言うて血管が割れた

と、いうわけではないだろうが
それぐらいの
気持ち悪さが全身を覆った。
間髪入れず
前回の出血の時と同じ激しい痛みが
後ろ頭を襲いだした。
( ̄Д ̄;)ガーン
と、言うより
ヽ( .∀.)ノ┌┛Σ(ノ `Д´)ノゲシッ
と、ハンマーのようなもんで殴られた感じぃ( ̄▽ ̄)

わ、わし
死ぬんかのぅ( ̄ii ̄)ブヒ
あ、いや
こ、こげな
し、しかも全裸で・・・
そ、そげな・・・


と、しんどいのに、そげな余裕かまして
まだ、泡がついたまんまだろう身体で
湯船で温もらず、風呂から出てパジャマを着て
居間で蹲る。
寝とぅても、座りとぅても、頭が痛すぎて
どぅもできんかった(-公-、)ドモナラン

そこを
でぶに見つけられ
病院へと。
詳しく言えば
世羅中央病院に連れて行かれ
CT撮って、出血がみつかり
そこから
みつぎ町の総合病院に
敢え無く救急車で強制送還され
前回と同じく
MRI撮影され、ハルンバッグをつけられ
ICUへ
10日間の面会謝絶、
一般病室に移り10日間の
計20日間の入院と相成りぃ。。

と、入院の際の状況を簡単に
報告してみる・・・(・◇・ゞ



そこで、色々な人に出会い
人と人との触れ合いをさせていただき
色々なことお尻
あ、いやもとい
わしにとって大切なことを知り
てか、知らさせていただき
今回の入院は
実におみのりある20日間であった。

そのことを臭わせておいて、
次回へと
つづくぅ~~~っ!
くさっ!
くぅっさぁ~~~っ!
=( =`д´= ;)⇒クサッ!!


で、竹苑!
わしらの結婚25周年の時
あんたらが植えてくれた桜の苗木…
今年初めて鼻目
じゃなしに花目がついて
5つほど咲いたでぇ~^^
植えてくれた時よりも
咲いた今の方が何でかしらんけど、
嬉しいゎ。。
この桜もほそぼそと生きてきたんじゃのぅ。
これからも、ほそぼそと遠慮しながら、
生きていくんかの
くぇんきょに…



なんちて、
ぎちょうさん^^v


※すみません。
今回もコメント欄
閉じさせていただきます。
いつも勝手ばかり言うてすみません<(_ _)>

by chirumegu | 2012-04-16 21:45 | 生きとるね | Trackback
2012年 01月 24日
しげちゃんへ
K山に嫁に来てそれまで同じ仕事の組で一緒になることはあっても
今ほどの関係ではなかった。
「琴が弾けるようになりたい」
そげなことを思い、
ずっと前からやりよったしげちゃんに問うために、
電話をかけたのがしげちゃんとわしの関係の始まりじゃったのぅ。

今でも忘れんゎ。

「しげこさん、お琴やっておられるんじゃろ?どげなですか?」
「ほうよ、楽しいんよ、ちるさんも一緒にやらん?」
こげに言うてくれて、8年前に始めたお琴。

以来、しげちゃんにはお琴だけではなく、
大切なことを仰山教えていただいたのぅ。
仕事でもお琴でも先輩で、
わしにはお姉ちゃんみたげな存在じゃったゎ。
ずっと前を歩いていってほしかった。


なのに・・・
なのに・・・


去年の5月、あげに元気じゃったしげちゃんは、病に倒れ
ご家族みんなでの手厚い介護での
闘病の甲斐もむなしくこの18日の引き潮の朝
旅立っていった。

わしも含めみんな涙にくれとるで(ノДT)アゥゥ
ぽっかり穴があいたみたげな
何にもする気がせんかったゎ。

でも、こないだ仕事に出たら、
しげちゃんがそばにおって一緒に仕事をしてとる気がしたゎ。
昨日もお琴の練習しよったら
しげちゃんがそばにおって一緒に弾いてくれとる気がした。

不思議じゃ。

しげちゃんがおった時よりも今の方が身近に感じる。
しげちゃんが一生懸命やりよったことをやったら
そばにおって、一緒にやってくれとる気がする。

ほうよのぅ。。
泣いてばっかじゃいけんのぅ。

しげちゃんのお嬢も言うとった。
「母は、
『やりたいことを精一杯やらせて貰うて私の人生は仕合せじゃったよ』
最後に、そう言っていました」

わしも精一杯やろ。。^^
今度しげちゃんに逢うた時はずかしいけ。

なもあみだぶつ

by chirumegu | 2012-01-24 21:50 | 生きとるね | Trackback
2011年 09月 24日
親のかげ
雨があがった翌朝、ふと庭に目をやると、思わず
「あっぱれっ!!」と、賛美の声をあげてしもうた。
美しかった。
前日の晩、雨をうけて、一本一本の糸に雨だれが不規則に残り、
芸術作品に、より一層磨きがかけられていた。
なのに…
蜘蛛くん、ええ写真にならなんだ。
すまんのぅ

物干しざおに
しがみついて、一生懸命。。
生きちょるのぅ
あんた、偉いのぅ

今日の田んぼ。。

秋のお仕事も、今日と明日で、終盤かのぅ。。
きれいに刈り込んで、
刈り込んだ後の、この風景も、わしゃ好きじゃ。

この稲の株
これを見るたんび、思い出す言葉がある

「子は親のかげ 麦はくれのかげ」

あるおばあさんの口癖じゃったという。
そのおばあさんは、
晩年は認知症になり、嫁のさかえさんの手をほとほと焼かせた。
さかえさんは、情けのぅて情けのぅて、
K山のショッピングモール・パオに買い物へ
一緒に連れて行った帰りなぞ
近くのダムに
車ごめ飛び込もうかと
思い詰めたことも何度もあったほど
おばあさんの認知はひどかった。

そのおばあさんも亡くなり、
さかえさんは、
おばあさんの口癖じゃったこの言葉をよく思い出すと。。

「かげ」は「おかげ」

「くれ」は、この辺の言葉で
刈り取った後に残った「稲の株」のこと

麦は、稲の刈り取りの後に植える。
たまたま残っておった稲の株のそばに植えた麦は、
逞しく、逞しく育ち、ええ麦になると。
その株が大きければ大きいほどええ麦ができると。

その株は、冬の厳しいさぶさから
麦を守り
あるいは、株に残っていた養分を麦に与えておるのかもしれん。
とにかく「くれ」のおかげで麦はええ麦に育つと。

そのイトナミには、驕りの微塵もない。

「子は親のかげ 麦はくれのかげ」

生きとるうちは、一緒に死のうかと思うたぐらいのおばあさんであったが、
さかえさんは、在りし日のおばあさんを思い出しながら、
「ええおばあさんじゃったんよ」と、
涙ながらに、この言葉をわしに教えてくださった。

「嫁に来てからは、わが親よりもおばあさんにはおかげを貰うたんよ
わが親よりも、親じゃ思うんよ」
そう言うさかえさんの言葉には、
おばあさんを亡くした寂しさがいっぱい詰まっとった。

稲の株を見るたんび、何か知らんけど、しんみりするんよね(-公-、)

by chirumegu | 2011-09-24 19:47 | 生きとるね | Trackback | Comments(20)
2011年 09月 14日
oichan
おぃ、ちるっ!「レイテ沖戦線」で、調べてくれぇ。
思えば、一昨年のせっきの頃、でぶのこの一言が、
わしの「いらっ」の始まりじゃった。
叔父E俊のことを調べたいというでぶ。
E俊叔父は特攻隊に志願し、「鳥海」という重巡洋艦に乗り、
昭和19年10月に被弾され艦ごと沈みレイテ沖に散華した。
遺品やお骨などというものは一切なく、
ただ石の入った小さい木箱と、
レイテ沖にて死亡の年月日と
「鳥海」の乗員だったことが簡単に書かれてある紙切れ1枚
それのみ、軍から送られて来たという。
しかし、でぶが何で調べたのかは定かではないが、
それには「鳥海」は、25日に沈んだと記載されていたと。

紙切れには27日死亡とあり、
この2日のずれがでぶの腐った脳みそに「?」マークを刻み付けた。
でぶの言い分を聞いたわしは、なるほど、、、

でぶには「?」
わしの腐った脳みそには「いらっ」がちょびっと刻み付けられた。

ふぅむ…
ならばと、
「重巡洋艦鳥海」で検索してみた。
いっぱい出てきた。
あちこち覗いてみたら…
あったあった(゜▽゜人)
あちこちしたのでどのぶにか分からんようになり、
リンク貼れんけど、すみません

「鳥海」は昭和19年10月25日、敵艦隊と交戦中被弾、
火災を誘発しふらふら状態となり、
警戒にあたっていた「藤波」が
「鳥海」の乗員を収容後、魚雷を発射し、
「鳥海」は自沈。
その後「藤波」は、主隊と別れて別行動中、
二日後の27日、敵航空機の大編隊と遭遇し、
これ以上ないだろうというぐらいの攻撃を受け沈没したと。
これが2日の違いの答えじゃった。
これでちょっち、わしら1匹と1人はすっきりんこ。

でも、

でも

…余計に涙をそそる・・・
おいちゃん、会いてぇゎ、わし・・・(-公-、)

が、しかし、今年の盆を過ぎたごろから、
でぶの頭のねじがまた、はずれだした。

「おい、ちるっ!鳥海、藤波の慰霊碑が写っとったぶにをまた出してくれっ!」
「はぁっ?」
「墓よ、墓、墓っ」
と、3回繰り返し言うて、きかぬでぶ。

と、こう書いても皆さんにはお分かりいただけないだろう。
この慰霊碑のことである。。
この慰霊碑に
叔父「ちるめぐE俊」の名が刻んであるかどうかが知りたかったらしい。
もし名前があるのなら佐世保まで行き、
お参りし、写真も撮りたいと。。

ふむ…
でぶのその気持ち・・・分からなくもないな。。

このサイトも何度も訪問し、
見えぬのが分かっておりながらも、
碑の写真を左右から上から、
阿呆げに覗き込んでみたり、
色んなサイトを覗いてみるも
「いらっ」は、増すばかりなりけりじゃった。
あるサイトには、名簿も保存してあると載せてあった。

それに戦没者は「鳥海」830名、「藤波」130名じゃったと。
こ、この中にE俊叔父が確かにおったんじゃ(┳◇┳)
「いらっ」が増すのと並行して、
わしのE俊叔父の入隊以降の状況を知りたい度は
どんどん上昇していった。

ネットでは限界があるのぅ。
直接声をこの耳で聞いて確かめたいのぅ。。

とうとう、わしの「いらっ」が10乗ぐらいになり、
まず、佐世保の海軍墓地の電話番号を「104」で問い、
教えていただいた。
その電話をかけてみた。
ぴっぴっぴっぴっ…

Trrrrrrrrr
Trrrrrrrrr
Trrrrrrrrr

「はい、佐世保海軍墓地東山公園です」
受話器の向こうで、耳が痛くなるぐらい元気のよい、
早口のおじさんの声が答えた。

げっ!通じたやんけっ(゜▽゜人)
かかって当たり前のことだが、飛び上がりたいぐらい嬉しかった。

「あの、鳥海・藤波の慰霊碑のことでお尋ねしたいのですが」
間髪入れず
「はいっ!あります、ありますよっ!鳥海・藤波の慰霊碑っ!」
お、おじさん、、ぼれぇ張り切っとる=( =`д´= ;)⇒
そ、それに、このスピード感に着いていけてねぇゎ、わし(-公-、)
「芳名碑が、そばにありましたが、
それには乗員の全ての方のお名前が刻んであるんでしょうか?」
てべてべとわしが問うと、
「あーっ、…全員は、書いてないんですよ。ご遺族の方ですか?
ここの鳥海・藤波の慰霊碑は、
九州・四国地方の遺族の有志の方が建てられたんですよ。
どちらの出身ですか?」

半ば残念げに、聞いてくれるおじさん。

「広島なんです」
「あーっ!広島は載ってないですねぇ。」

おじさんの落胆ぶりは隠しきれず、
電話線を通してわしのところまで伝わってきた。

「この碑は、さっきも言いましたように、
九州・四国・沖縄地方の人々が建てられたので、
お名前もその地方の戦没者の方のしかのっていないんですよ」

「あぁ、そうですかぁ(-公-、)残念です。
あ、でも、名簿がそこに保存してあると聞いたのですが、
その名簿もやはりその地方の方のしか載ってないんですか?」

「広島のお名前は何と仰いますか?」
「ちるめぐE俊です。」

おじさんは、しばらく名簿を見て探してくださっていたが、
「17万人以上のお方が載っているので、ちょっと調べて、
もし、あるようなら、折り返し電話させていただきます。」

そう言うて、わしの返事も聞かず、
ぷちんと電話を切ったその一連の会話のおじさんの声には、
かなりの「わくわく感」を感じ取ることができた。
これから調べて、名前があったらいいな♪
みたげな、仕事人の血が騒ぐ…
みたげな声じゃった。
ええおじさんじゃった。

待つこと1時間…
おじさん、「あったら電話します」言いよったよのぅ、
やっぱ、なかったんじゃろぅのぅ…(-公-、)
半分諦めておったら、
・・・・
かかってきたんよね♪

「すみません、お待たせして。」
「あ、いえ、こちらこそ、めんどくさいことを言うて、すみません。」

「それがねぇ、やはりここには、
『ちるめぐE俊さん』のお名前はありませんでした。
色々な方面から探してみたんですが、
やはりありませんでした。
呉にも海軍墓地があるのでそこにも問い合わせてみましたが、
そこにもありませんでした。
で、
それがですよね。(わくわく)
なんと!!
呉の職員さんが仰るには、
東京の霞が関にある、、
分かります?霞ヶ関ですよ。。
その中にある、『厚生労働省の社会・援護局』
と、言うところに電話をして、聞いてみられたら、
何時入隊してどこから出発して、どこに行って、
どこでなくなられたかと言うことを
逐一全部っ教えてくれるそうです。
電話番号と住所を今から言いますので、電話してみてください。
ええですか?霞ヶ関の厚生労働省ですよっ!」
( ..)φメモメモ
「はぁ。。」
と、返事をして、
こ、ここまで調べてくださって…親切なおじさんじゃ( ̄▽ ̄)
と、ほのぼのしながら電話を切って、
落ち着いて書きとめたメモの住所と宛名をもう一度見てみる
( ̄ ̄ ̄__ ̄ ̄ ̄)ジー


えぇぇぇ~~~っ!こ、厚生労働省ぉっ!!=( =`д´= ;)⇒キョドキョド

電話をするわしを想像してみる( ̄▽ ̄)タリラン

こ、このわしが、こ、厚生労働省に、電話をかけるん?

ぼれ旨のはずのあんかけチャーハンの「あん」を作る時に
固めの「あん」にせにゃならんのに、
片栗粉をけちって妙にさらさらの「あん」ができ、
あんまし旨ぅないあんかけチャーハンになった時の「あ
ん」みたげに、だらだらへにょやおいこのわしが、
鉄人28号みたげに超固げな霞が関の厚生労働省に電話をかけるん?

再び…
ええぇぇぇぇぇ~~~っ!=( =`д´= ;)⇒
ど、どぉしよ=( =`д´= ;)⇒

どん引きぃ~~(-公-、)

と、言ういきさつの、かくかくしかじかで、
そげな超お固いところに電話をかけることになったわしじゃった。

電話をかけてみると
厚生労働省の社会・援護局というところにも仰山科があり、
なんちゃらかんちゃらとうざややこしいぐらい
「少々お待ちください」と、
何度も色んな「科」に回されて、
やっと「資料第四係」というところに辿り着けてくださった。

その声の主は、
先ほどの海軍墓地のおじさんの騒々しさとは打って変わり、
「し~ん」と言う音が聞こえてきそうなぐらい、
静かで落ち着いた声じゃった。

かくかくしかじかでと、訳を伝えると、

「こちらから書類をお送りいたしますので、
それに記載されている必要書類と、
ご遺族の情報を記載していただく書類に必要事項を書いていただき、
それらをまた、当方にお送りください。
その情報に基づき、調べてまたお送りいたします。」
と、ちる家の住所、でぶにぃの名前、電話番号などを伝え、電話を切った。

それから一週間経ったごろ、社会・援護局のお方は、本当に送ってくださった。

役場で戸籍や住民票をとったり、簡単には教えていただけないが、
先日それらを局に送付した。

「送るにゃ送ったが、そげに変わったこたぁ分からんじゃろぅのぅ」
でぶはこのように言うが、一連の経緯は、わしらのええ経験となった。

レイテという言葉で色々検索していたごろ、こげな素敵なブログにも出会えたし
てんちゃんさんが紹介しておられる
「レイテからの葉書」の動画のお方のお父さんは、
愛する妻子を守るために比島沖で散ってゆかれたが、
これも泣ける。
西田さんも号泣しておられた。

然してE俊叔父は、守るものがあったんじゃろか。。
どげな気持ちで、死んでいったんじゃろか(ノДT)アゥゥ

E俊叔父が何時入隊し、どこから飛び立って、どこに行って云々
そげなことを知ってもE俊叔父の気持ちなんぞ分かろうはずもないが、

・・・でも知りたい(-公-、)

今、でぶもわしも
ただ
ただ・・・局からの便りを待っている。


盆過ぎから考えがまとまらず、閃きも浮かばず、
悶々としながらちびりちびり書いとったら
ぼれぇ長ぅなってしもうてすみません。

と、ここまで昨日、
仕事の合間にてべてべと下書き保存しておったら、
夕方…

折しも、局から電話が入り、E俊叔父の兄、
つまりでぶにぃの父親E蔵と
でぶにぃとの関係を記した書類を送ってくれと。

そして、いつ入隊し、どこから出航したかという情報は、
防衛庁の管轄なのでそこへも問わにゃならんと。。

がびぃ~~ん( ̄▽ ̄)
E俊叔父の気持ちが分かるかもしれない日に辿り着くには…


ま、まだまだ長い道のりじゃ。

ちゃんちゃん♪

by chirumegu | 2011-09-14 20:46 | 生きとるね | Trackback | Comments(22)
2011年 07月 28日
ばぁちゃんの里帰り・続編
今更続きというのも烏滸がましいですが…
すみません、更新が滞って


階段をうんしょうんしょとゆっくりかけあがり、
無事に新幹線に乗れることができた3人、、、

小倉駅に着いたら昼前じゃった。
駅ビルの中で3人は昼食をとった。
小倉は都会じゃのぅ。
色んな店があった。
3人はどこで何を食べるぅ??

まず、それが問題で迷うが、
てんぷらの店のウィンドーが空腹の3人の触角を刺激した。
色んなてんぷら定食のフィギュアが旨げに飾られとった。

わぁ、、ここにしようや♪
三人のお昼ご飯は天ぷら定食に相成りぃ

ばぁちゃんは「さくら天ぷら定食」
姉ちゃんは「ラフテー定食」
わしは「チキン南蛮定食」
を注文した。
が、すかす

三人の注文のブツがきた時にゃ、ちっくし引いてしもぅた。

トレイの上には天ぷらがどっさりと二皿ものっておったしぃ、
なんせ、この三人は、元気になったとは言え、
病気療養中の姉ちゃんと、
すっかりようなったとは言え、いまいち身体がはっきりせん時があるわし、
残るは、90歳前のばぁちゃん、
それぞれ、脂っこいもんは控えた方がええよな気もする。
まぁ、注文してしもうたもんは仕方がないので、
とりあえず、腹に入れた。
が、びっくり!3人とも、全部平らげてしもうた=( =`д´= ;)⇒
う、旨かった。
外はさくさくのかりかりで、中はジューシーに揚がった天ぷら。。
旨かった^^v

あ、いや、こげなこたぁどぅでもえかったんじゃった(^^ゞ

3人は、昼食を済ませ、いざ直方へと、たかえ叔母さんに会いに行った。

ばぁちゃんのお里に着き、玄関で、
「こにゃにゃちはぁ~」とは言わず
(ん?どっかで聞いたことがあるのぅ、のぉや、皿、^m^)
「こんにちわぁ」と、声をかけると、
こっつんこっつんと、音をさせながらたかえ叔母さんは、
両脇に松葉づえを二本抱えて迎え出てくださった。
3人共、び、びっくらこいたゎ=( =`д´= ;)⇒

「まぁ、あんた、どぉしたぁんの!!」ばぁちゃんも思わず叫んだ。

ばぁちゃんは、たかえ叔母のこの変わり果てた姿を見た瞬間、
叔母の将来を心配すると同時に、
これから会いに行く頓野のすみこ叔母の様態を懸念したに違いなかった。
すみこ叔母は、わしらが直方に行く1週間前に
調子をくずし入院、検査待ち状態だったのだ。

「ふ、二人とも大丈夫なんじゃろか。うち一人を置いて逝かんでくれぇよ」
と、こげに思うたに違いない。

そこで、茶をよばれながら懐かしくぺちゃって、
お次はたかえ叔母も加わり頓野へと。
頓野ではすみこ叔母のご亭主と息子の善くん、
その奥さんが歓待してくれ、緑茶やらコーヒーやら抹茶やら、菓子やらで
わしらの腹は、たぽたぽになってしもうた(;一_一)
あ、いや、と、同時に
温かさと懐かしさと嬉しさで、心もいっぱいになった。

で、善君と叔父が、すみこ叔母の待つ病院まで送迎してくれ、
3人の後期高齢者たちの再会が果たせた。
わしと姉ちゃんは、叔父の車で着いたので、
少し遅れて病室に入ると、
既に2人の後期高齢者は、着いており、
病のベッドの傍らに座り何やら囁くように
、たどたどしく会談しておった。
最初ごろは、ばぁちゃんがすみちゃんの手を握り…
この光景を見たわしは、まさに青天の霹靂のごとくに驚いた=( =`д´= ;)⇒

ばぁちゃんは、そのような人の手を握り
「がんばってね」みたげなことをするような
ばぁちゃんでは決してない。
そのばぁちゃんが、すみちゃんの手を握っているのだから、
余程すみちゃんに会いたがっていたし案じていたのであろう。

しばらくすると、たかえ叔母まで手を握りだした。

手を取り合う3人の女後期高齢者たちの醸し出すオーラ。

「うちら、いつまで生きられるか分からんとよ。
ばってん、離れとぅけど、一緒にがんばって明るく生き抜いていくとよ」
という、決意みたげなもんを感じ取ることができた。

この3人の結束を見ていると
、わしゃ、何故かスリーディグリーズを思い出した。
キャンディーズでもそら良いのだが、
もうちと渋めのところでスリーディグリーズを主張したい。

ご存じだろうか、スリーディグリーズ
かっこえかった、あのはもり❤
あ、いや、そげなことはどうでもええんじゃが、、(^^ゞ

で、この3人の後期高齢者は、ひとしきり決意を固め、別れに入った。

「へぇならの、また来るけんそれまでに元気になっとりぃよ」
と、たかえ叔母とばぁちゃんは、果たせんかもしれん約束を交わし、
すみちゃんに別れを告げ、部屋を出て行った。

で、話はとぶが、
ばぁちゃんは、悲しいぶにやら嬉しいぶにやら感動するぶにのドラマを見たり、
話を聞いたりして、涙を出し、鼻をすする時、
決まって右手の人差し指の付け根の甲の側の関節部分を、
鼻の孔の右側から当てて、左側へ素早く移動させこすり付ける癖がある。
その際、決まって
「ちゅべっ!」言う音を出す。

話を元に戻す。

で、ばぁちゃんとたかえ叔母が部屋を出るとき、
ばぁちゃんは、
その

「ちゅべっ!!」をやった!!

しかも、いつもよりも、ずんど勢いがよかった。
みごとじゃった!!(゜▽゜人)

それを見た瞬間…

それまでのわしの欲望は、全部満たされた。
と、同時に、



気が付いたら

わしも・・・


「ちゅべっ」
をやっとった(ノ△T)

でぶと喧嘩までしたが、
でも、
行けてよかった、、、


直方。。


それと

by chirumegu | 2011-07-28 15:17 | 生きとるね | Trackback | Comments(12)
2011年 06月 28日
こないだの京都
こないだ京都へ行ってきた。
あちこち歩いた合間に
これ山アジサイ言うんじゃと^^

へぇから、このぶに…
わしゃ、初めて見た。
蔓のあじさい。。
目立たんが、大木にずっと上の方まで這うあじさい。

プレビューで見たが、
あんましよぅわからんのぅ。
あの樹、、檜じゃったと思うんじゃが、

お百姓のみのるさんが教えてくれた。
「ありゃぁ、あのあじさいに養分を吸い取られてやがて枯れて行くんよ」
か、かわぃそうじゃ(ノ△T)

檜にとっちゃぁ、むげぇ話じゃが、
でも、あじさいも生きるために必死じゃ。

自然の摂理じゃのぅ。。
で、自然でもひとつ初めて見たもん。。

嫌いなお方にはすみません<m(__)m>

by chirumegu | 2011-06-28 22:02 | 生きとるね | Trackback | Comments(4)
2011年 06月 19日
しげちゃん
楓の花

尾崎宍夫:作歌
松坂検校:作曲

花の名残りも嵐山、
梢々(こずえこずえ)の
浅緑(あさみどり)
松吹くかぜにはらはらと
散るは楓の花ならむ
井堰(いせき)を登る若鮎の、
さ走る水の水籠り(みごもり)に、
鳴くや河鹿(かじか)の声澄める
大堰(おおい)の岸ぞ懐かしき
川上遠く時鳥(ほととぎす)
忍ぶ初音に憧れて
舟さし登し(のぼし)見にゆかん
戸奈瀬(となせ)の奥の岩つヽじ


しげちゃん、

のぅ・・・
早ぅ帰って来てくれぇや。

のぅ、しげちゃん。
しげちゃんの具合が悪ぅなってから、
S邦楽クラブではわしがしげちゃんの代わりを務めにゃならんよになったで。

いっつもしげちゃんとツレになっとった
大和町のえみちゃんは、「右腕をもがれたような」
と、言うて困惑の渦に溺れとる。

こないだもしげちゃんの代わりに京都まで2人で行って
福盛先生やら諸先生方についてお琴弾いたし、、

それが済んだ思うたら、今度は
けんみん文化祭にでるぶに、
「楓の花」の替手を一からやり直しじゃ。
わし、今まで本手の方をやっとったけぇのぅ。

京都に行った時、福盛先生が仰ったんよ。
「弾けるようになるには、百回練習しなきゃだめよ」
「一日五回練習したら、二十日で百回でしょ。」

・・・・
・・・・
・・・・
福盛先生が百回なら、わしゃ、十万回弾かにゃならんゎ(┳◇┳)
毎日十回練習しよるんで。
曲をいただいてから昨日で九十回。

みんなで合奏したぶにをテープで録ったものと
合わせて弾いてみるもののさっぱり弾けん。
やっぱ本気で十万回練習せにゃならんゎ。
気が遠ぅゆぅなるよな(-公-、)

が、すかすじゃが、それでも所々合うところがあると、
感激の涙涙で、立ち直れんぐらいになる。。

しげちゃん、この曲をよう弾きよったのぅや。
わしゃ、しげちゃんの代わりができんかもしれん(-公-、)
が、がんばってみるけん、
しげちゃん、早ぅに、ようなって帰ってきちくれや(-公-、)

今日のお昼からは、S町民文化祭。
「楓の花」ではないけど、しげちゃん不在の邦楽クラブで、
宮田耕八朗編曲の「編曲春の海」
弾いて来やんす。

いつかきっと、しげちゃんとえみちゃんと3人で一緒に弾こうで。
宮城道雄作曲のむずいぶにの「春の海」

by chirumegu | 2011-06-19 09:39 | 生きとるね | Trackback