散る桜もまたさくら

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2011年 09月 24日

親のかげ

雨があがった翌朝、ふと庭に目をやると、思わず
「あっぱれっ!!」と、賛美の声をあげてしもうた。
美しかった。
前日の晩、雨をうけて、一本一本の糸に雨だれが不規則に残り、
芸術作品に、より一層磨きがかけられていた。
なのに…
蜘蛛くん、ええ写真にならなんだ。
すまんのぅ
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物干しざおに
しがみついて、一生懸命。。
生きちょるのぅ
あんた、偉いのぅ
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今日の田んぼ。。
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秋のお仕事も、今日と明日で、終盤かのぅ。。
きれいに刈り込んで、
刈り込んだ後の、この風景も、わしゃ好きじゃ。
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この稲の株
これを見るたんび、思い出す言葉がある
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「子は親のかげ 麦はくれのかげ」

あるおばあさんの口癖じゃったという。
そのおばあさんは、
晩年は認知症になり、嫁のさかえさんの手をほとほと焼かせた。
さかえさんは、情けのぅて情けのぅて、
K山のショッピングモール・パオに買い物へ
一緒に連れて行った帰りなぞ
近くのダムに
車ごめ飛び込もうかと
思い詰めたことも何度もあったほど
おばあさんの認知はひどかった。

そのおばあさんも亡くなり、
さかえさんは、
おばあさんの口癖じゃったこの言葉をよく思い出すと。。

「かげ」は「おかげ」

「くれ」は、この辺の言葉で
刈り取った後に残った「稲の株」のこと

麦は、稲の刈り取りの後に植える。
たまたま残っておった稲の株のそばに植えた麦は、
逞しく、逞しく育ち、ええ麦になると。
その株が大きければ大きいほどええ麦ができると。

その株は、冬の厳しいさぶさから
麦を守り
あるいは、株に残っていた養分を麦に与えておるのかもしれん。
とにかく「くれ」のおかげで麦はええ麦に育つと。

そのイトナミには、驕りの微塵もない。

「子は親のかげ 麦はくれのかげ」

生きとるうちは、一緒に死のうかと思うたぐらいのおばあさんであったが、
さかえさんは、在りし日のおばあさんを思い出しながら、
「ええおばあさんじゃったんよ」と、
涙ながらに、この言葉をわしに教えてくださった。

「嫁に来てからは、わが親よりもおばあさんにはおかげを貰うたんよ
わが親よりも、親じゃ思うんよ」
そう言うさかえさんの言葉には、
おばあさんを亡くした寂しさがいっぱい詰まっとった。

稲の株を見るたんび、何か知らんけど、しんみりするんよね(-公-、)
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by chirumegu | 2011-09-24 19:47 | 生きとるね | Comments(20)
2011年 09月 14日

oichan

おぃ、ちるっ!「レイテ沖戦線」で、調べてくれぇ。
思えば、一昨年のせっきの頃、でぶのこの一言が、
わしの「いらっ」の始まりじゃった。
叔父E俊のことを調べたいというでぶ。
E俊叔父は特攻隊に志願し、「鳥海」という重巡洋艦に乗り、
昭和19年10月に被弾され艦ごと沈みレイテ沖に散華した。
遺品やお骨などというものは一切なく、
ただ石の入った小さい木箱と、
レイテ沖にて死亡の年月日と
「鳥海」の乗員だったことが簡単に書かれてある紙切れ1枚
それのみ、軍から送られて来たという。
しかし、でぶが何で調べたのかは定かではないが、
それには「鳥海」は、25日に沈んだと記載されていたと。

紙切れには27日死亡とあり、
この2日のずれがでぶの腐った脳みそに「?」マークを刻み付けた。
でぶの言い分を聞いたわしは、なるほど、、、

でぶには「?」
わしの腐った脳みそには「いらっ」がちょびっと刻み付けられた。

ふぅむ…
ならばと、
「重巡洋艦鳥海」で検索してみた。
いっぱい出てきた。
あちこち覗いてみたら…
あったあった(゜▽゜人)
あちこちしたのでどのぶにか分からんようになり、
リンク貼れんけど、すみません

「鳥海」は昭和19年10月25日、敵艦隊と交戦中被弾、
火災を誘発しふらふら状態となり、
警戒にあたっていた「藤波」が
「鳥海」の乗員を収容後、魚雷を発射し、
「鳥海」は自沈。
その後「藤波」は、主隊と別れて別行動中、
二日後の27日、敵航空機の大編隊と遭遇し、
これ以上ないだろうというぐらいの攻撃を受け沈没したと。
これが2日の違いの答えじゃった。
これでちょっち、わしら1匹と1人はすっきりんこ。

でも、

でも

…余計に涙をそそる・・・
おいちゃん、会いてぇゎ、わし・・・(-公-、)

が、しかし、今年の盆を過ぎたごろから、
でぶの頭のねじがまた、はずれだした。

「おい、ちるっ!鳥海、藤波の慰霊碑が写っとったぶにをまた出してくれっ!」
「はぁっ?」
「墓よ、墓、墓っ」
と、3回繰り返し言うて、きかぬでぶ。

と、こう書いても皆さんにはお分かりいただけないだろう。
この慰霊碑のことである。。
この慰霊碑に
叔父「ちるめぐE俊」の名が刻んであるかどうかが知りたかったらしい。
もし名前があるのなら佐世保まで行き、
お参りし、写真も撮りたいと。。
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ふむ…
でぶのその気持ち・・・分からなくもないな。。

このサイトも何度も訪問し、
見えぬのが分かっておりながらも、
碑の写真を左右から上から、
阿呆げに覗き込んでみたり、
色んなサイトを覗いてみるも
「いらっ」は、増すばかりなりけりじゃった。
あるサイトには、名簿も保存してあると載せてあった。

それに戦没者は「鳥海」830名、「藤波」130名じゃったと。
こ、この中にE俊叔父が確かにおったんじゃ(┳◇┳)
「いらっ」が増すのと並行して、
わしのE俊叔父の入隊以降の状況を知りたい度は
どんどん上昇していった。

ネットでは限界があるのぅ。
直接声をこの耳で聞いて確かめたいのぅ。。

とうとう、わしの「いらっ」が10乗ぐらいになり、
まず、佐世保の海軍墓地の電話番号を「104」で問い、
教えていただいた。
その電話をかけてみた。
ぴっぴっぴっぴっ…

Trrrrrrrrr
Trrrrrrrrr
Trrrrrrrrr

「はい、佐世保海軍墓地東山公園です」
受話器の向こうで、耳が痛くなるぐらい元気のよい、
早口のおじさんの声が答えた。

げっ!通じたやんけっ(゜▽゜人)
かかって当たり前のことだが、飛び上がりたいぐらい嬉しかった。

「あの、鳥海・藤波の慰霊碑のことでお尋ねしたいのですが」
間髪入れず
「はいっ!あります、ありますよっ!鳥海・藤波の慰霊碑っ!」
お、おじさん、、ぼれぇ張り切っとる=( =`д´= ;)⇒
そ、それに、このスピード感に着いていけてねぇゎ、わし(-公-、)
「芳名碑が、そばにありましたが、
それには乗員の全ての方のお名前が刻んであるんでしょうか?」
てべてべとわしが問うと、
「あーっ、…全員は、書いてないんですよ。ご遺族の方ですか?
ここの鳥海・藤波の慰霊碑は、
九州・四国地方の遺族の有志の方が建てられたんですよ。
どちらの出身ですか?」

半ば残念げに、聞いてくれるおじさん。

「広島なんです」
「あーっ!広島は載ってないですねぇ。」

おじさんの落胆ぶりは隠しきれず、
電話線を通してわしのところまで伝わってきた。

「この碑は、さっきも言いましたように、
九州・四国・沖縄地方の人々が建てられたので、
お名前もその地方の戦没者の方のしかのっていないんですよ」

「あぁ、そうですかぁ(-公-、)残念です。
あ、でも、名簿がそこに保存してあると聞いたのですが、
その名簿もやはりその地方の方のしか載ってないんですか?」

「広島のお名前は何と仰いますか?」
「ちるめぐE俊です。」

おじさんは、しばらく名簿を見て探してくださっていたが、
「17万人以上のお方が載っているので、ちょっと調べて、
もし、あるようなら、折り返し電話させていただきます。」

そう言うて、わしの返事も聞かず、
ぷちんと電話を切ったその一連の会話のおじさんの声には、
かなりの「わくわく感」を感じ取ることができた。
これから調べて、名前があったらいいな♪
みたげな、仕事人の血が騒ぐ…
みたげな声じゃった。
ええおじさんじゃった。
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待つこと1時間…
おじさん、「あったら電話します」言いよったよのぅ、
やっぱ、なかったんじゃろぅのぅ…(-公-、)
半分諦めておったら、
・・・・
かかってきたんよね♪

「すみません、お待たせして。」
「あ、いえ、こちらこそ、めんどくさいことを言うて、すみません。」

「それがねぇ、やはりここには、
『ちるめぐE俊さん』のお名前はありませんでした。
色々な方面から探してみたんですが、
やはりありませんでした。
呉にも海軍墓地があるのでそこにも問い合わせてみましたが、
そこにもありませんでした。
で、
それがですよね。(わくわく)
なんと!!
呉の職員さんが仰るには、
東京の霞が関にある、、
分かります?霞ヶ関ですよ。。
その中にある、『厚生労働省の社会・援護局』
と、言うところに電話をして、聞いてみられたら、
何時入隊してどこから出発して、どこに行って、
どこでなくなられたかと言うことを
逐一全部っ教えてくれるそうです。
電話番号と住所を今から言いますので、電話してみてください。
ええですか?霞ヶ関の厚生労働省ですよっ!」
( ..)φメモメモ
「はぁ。。」
と、返事をして、
こ、ここまで調べてくださって…親切なおじさんじゃ( ̄▽ ̄)
と、ほのぼのしながら電話を切って、
落ち着いて書きとめたメモの住所と宛名をもう一度見てみる
( ̄ ̄ ̄__ ̄ ̄ ̄)ジー


えぇぇぇ~~~っ!こ、厚生労働省ぉっ!!=( =`д´= ;)⇒キョドキョド

電話をするわしを想像してみる( ̄▽ ̄)タリラン

こ、このわしが、こ、厚生労働省に、電話をかけるん?

ぼれ旨のはずのあんかけチャーハンの「あん」を作る時に
固めの「あん」にせにゃならんのに、
片栗粉をけちって妙にさらさらの「あん」ができ、
あんまし旨ぅないあんかけチャーハンになった時の「あ
ん」みたげに、だらだらへにょやおいこのわしが、
鉄人28号みたげに超固げな霞が関の厚生労働省に電話をかけるん?

再び…
ええぇぇぇぇぇ~~~っ!=( =`д´= ;)⇒
ど、どぉしよ=( =`д´= ;)⇒

どん引きぃ~~(-公-、)

と、言ういきさつの、かくかくしかじかで、
そげな超お固いところに電話をかけることになったわしじゃった。

電話をかけてみると
厚生労働省の社会・援護局というところにも仰山科があり、
なんちゃらかんちゃらとうざややこしいぐらい
「少々お待ちください」と、
何度も色んな「科」に回されて、
やっと「資料第四係」というところに辿り着けてくださった。

その声の主は、
先ほどの海軍墓地のおじさんの騒々しさとは打って変わり、
「し~ん」と言う音が聞こえてきそうなぐらい、
静かで落ち着いた声じゃった。

かくかくしかじかでと、訳を伝えると、

「こちらから書類をお送りいたしますので、
それに記載されている必要書類と、
ご遺族の情報を記載していただく書類に必要事項を書いていただき、
それらをまた、当方にお送りください。
その情報に基づき、調べてまたお送りいたします。」
と、ちる家の住所、でぶにぃの名前、電話番号などを伝え、電話を切った。

それから一週間経ったごろ、社会・援護局のお方は、本当に送ってくださった。
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役場で戸籍や住民票をとったり、簡単には教えていただけないが、
先日それらを局に送付した。

「送るにゃ送ったが、そげに変わったこたぁ分からんじゃろぅのぅ」
でぶはこのように言うが、一連の経緯は、わしらのええ経験となった。

レイテという言葉で色々検索していたごろ、こげな素敵なブログにも出会えたし
てんちゃんさんが紹介しておられる
「レイテからの葉書」の動画のお方のお父さんは、
愛する妻子を守るために比島沖で散ってゆかれたが、
これも泣ける。
西田さんも号泣しておられた。

然してE俊叔父は、守るものがあったんじゃろか。。
どげな気持ちで、死んでいったんじゃろか(ノДT)アゥゥ

E俊叔父が何時入隊し、どこから飛び立って、どこに行って云々
そげなことを知ってもE俊叔父の気持ちなんぞ分かろうはずもないが、

・・・でも知りたい(-公-、)

今、でぶもわしも
ただ
ただ・・・局からの便りを待っている。
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盆過ぎから考えがまとまらず、閃きも浮かばず、
悶々としながらちびりちびり書いとったら
ぼれぇ長ぅなってしもうてすみません。

と、ここまで昨日、
仕事の合間にてべてべと下書き保存しておったら、
夕方…

折しも、局から電話が入り、E俊叔父の兄、
つまりでぶにぃの父親E蔵と
でぶにぃとの関係を記した書類を送ってくれと。

そして、いつ入隊し、どこから出航したかという情報は、
防衛庁の管轄なのでそこへも問わにゃならんと。。

がびぃ~~ん( ̄▽ ̄)
E俊叔父の気持ちが分かるかもしれない日に辿り着くには…


ま、まだまだ長い道のりじゃ。

ちゃんちゃん♪
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by chirumegu | 2011-09-14 20:46 | 生きとるね | Comments(22)