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散る桜もまたさくら

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2008年 08月 18日

ばぁちゃん

15日は、終戦記念日・・・
64年前、第二次世界大戦が、終結した日(当たり前のことですが)

原爆の日には、父を、そして、終戦記念日には、何故か、うちのばぁちゃんの苦労を、思い出します。
こんな夏の暑い暑いある年の祇園祭の頃、当時小学校2年生だったでぶにぃのねぇちゃん宛に1通の絵葉書が届いたそうです。京都へ10日間の研修に行っていた義父からでした。

自分は、暑くても一生懸命勉強しているので、おりこうにして待っていなさい・・・と、いうような、内容だったそうです。

義父が、なんの勉強をしに京都に行っていたのかは、聞いていませんが、研修期間を終え、うちに帰った義父は、その11月に突然、亡くなってしまいました。 義母とでぶにぃを含む3人の小さな子供たち、そして、でぶにぃの祖父母をおいて・・・。
一家の大黒柱、享年41歳でした。

「お父ちゃん、どこ行ったか、知らん?」
「えぇ~~?父ちゃんなら、便所の前で、寝とったでぇ~」

お客さんが来られて、義母がさがしても、どこにもいないので、当時かぞえで5歳だった、でぶにぃに聞きました。

急いで、トイレの前まで行った義母は、寝ているのではなく、起き上がる元気も無いくらいぐったりしと倒れている義父を見つけました。
声をかけると
「腕時計がきつくて、苦しいからはずしてくれ」と、その時はまだ、話もできる状態でした。
すぐに、義母はお医者さんを呼びましたが、なにせ、50年以上も前の、田舎のことで、中々・・・
そのうちに、容態はどんどん悪くなっていって、先生が来てくださったときには、瞳孔も開いて心臓も停止していました。
「手遅れです」
「先生、何言うとるんね、早うお父ちゃんを、治してぇや!」
義母は、事の次第が、納得できず、先生に、泣きながら訴えました。
当たり前ですよね、ほんの数分前まで、義父の元気な顔を見ていたんですから。
心臓麻痺でした。

それから周りは、慌しくなっていき、よそに泊まりに行っていた祖父母を呼び戻し、近所の人たちや、親戚中の人たちが次々に訪れ、義父が横たわる傍らで、皆が泣きました。

そんなみんなを見て、幼いでぶにぃは、分かっているのかいないのか・・・
「みんな、泣くなやぁ、、お父ちゃんは、寝とるだけじゃ、明日になったら、起きるけん、泣くな」
と、叫ぶ・・・。
恐らく、幼心に、みんなを安心させようとしたのか・・。
そんな幼いでぶにぃの言葉が、みんなの涙を余計にそそる。

そして、次の日になっても、義父は、起きてはきませんでした。
でぶにぃの・・・・うそつき・・・・(-公-、)

その日から、義母の苦労は、始まりました。
3人の幼い子どもを抱えて、おまけに義祖父母も・・・
いっきに義母の肩にかかります。

今は、仕事先には車で、行けますが、義母は、バスを使ってそこから、てくてく歩いて行っていました。
雨の日も、風の日も、雪の日も・・・。

ある日、「いってきます」と、義母が仕事に出て行った後、祖母が外に出てみると、義母が倒れていたそうです。
額にさわったら、とても熱くて、計ったら、40度の熱が出ていたと。

今思えば、義父の突然の死を一番受け容れられなかったのは、義母だと思います。

わざわざ、遠い九州は、直方から、なんで、こんな苦労をしに来たんだろう・・・って。

けれど、義母はいつも、笑いながら言います。
「ほいでも、戦争に行って男が全くおらんかったんじゃけん。これを逃したら、一生結婚できんじゃろう、思うた。わはははっ!」・・・と。

義母の従兄は、大阪の軍需工場に通っていて、そこで、義父と友達でした。
それで、「従妹にこんなのが、おるで」と、紹介されたのが、義母だったそうです。
たった1度会っただけで、すぐに結婚が決まり、義母は、身ひとつで、野を越え山を越え、九州から、ここに来ました。

もし、戦争がなかったら、義父と義母の出会いはなかったのです。
ってことは、でぶにぃも、この世に生まれてこなかった・・・
私も、でぶにぃと結婚することは、なかったんじゃ・・・らっきぃぃ~~^m^

いや、違うでしょ。

でぶにぃと、私が、今、、、ここに生きていること。。

そんなことを考えていくと、不思議でなりません。

うみさんも、その番組を見たいと仰っていた。
私も、考えてみました。
とても、複雑な気持ちになって、、

そんな日に、久しぶりに、写真を撮りました。



つくつくぼうし・・・の、ぬけがらかしらん?
ばぁちゃん_d0112251_1574471.jpg

長い時間がんばって、出てきたんじゃろうね。
こないだまで、このからをかぶっていたのに、今は、蝉になって、
「つくつく、おぃっし、つくつく、おぃっし・・・・」って、啼きよる。
おもろいじゃろ?わしゃ、なんの虫なんじゃろ?
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あんた、つぶされんように、しぃよ。
てんとう虫くんも、おった。
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この子たち
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雑草で、取っても取っても、次々に生えてきて、困るんですが、花は、かわぃぃ♥
で、高野山の参道の桜も、
ばぁちゃん_d0112251_15123995.jpg

だれが、食べたんやぁ。。でも、きれいに食べて・・。
なんか、アートチックで、いい感じ。。
百日紅のピンクと、お空の青が、きれいでしょ。
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青い空は、青いままで、こどもぉらにつたえたいぃ~~♪
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もえる、はちがつの、あぁ~~さ♪
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ちちのぉ~~、ははのぉ~~、きょうだぁ~~い、たぁ~~ちぃの・・・♪

この空、虫や、草花や木々たちは、戦争とは全く無縁のものと思うけれど、つながりを感ぜずにはいられません。
赤い糸・・・
いや、そんなきれいなものではなくて、

たとえば、こんな星空・・・・(写真は、Googleイメージです)
ばぁちゃん_d0112251_151924100.jpg

この中の小さなたったひとつの星。
その星のまたたきが、1回でもなかったら、この今の私もなかったかもしれないと感じる。。
そんな、大いなるものの中のこんなちっぽけな私をつなげる何か。
そして、こんな、枯れかけた紫陽花にも、ほら、新しいいのちが顔を出しているじゃありませんか
枯れた先から、芽を出して・・・
ばぁちゃん_d0112251_20414933.jpg

こんな写真を撮る、刹那にも、そんな出会いの不思議を感じながら、みんなみんな、生きていきているんだなぁと・・・。

私は、義父の顔を見たことも、あったこともありません。
義母の苦労も、実際に見てきたわけでもありません。
けれども、そんな、義父の死や、義母の苦労があったから、今の私達が、あるんだと、感じずにはいられません。

あるお方が、沖縄に行かれ、亡くなっていった兵士達の遺物や、ひめゆりの塔などを拝見され、こんな歌を詠まれたそうです。

千万(ちよろず)の
    いのちの上に 築かれし
  平けき(たいらけき)世を 生くる 悲しき


中々、普段はそんなこと、頭の隅にもおけないこの私ですが、、先日の終戦記念日を通して、ばぁちゃんの苦労を味あわさせて いただきました。

で、この歌ご存知ですか?〇ちゃん凡愚さんONSAIさん。^m^

by chirumegu | 2008-08-18 21:19 | Comments(38)
Commented by 鶴です at 2008-08-18 21:57 x
今、北京では平和の祭典・オリンピックまっただ中。
その中で、戦争を知らない鶴の世代は・・。
鶴母からは、8月9日の八幡上空を低空で飛ぶ例の飛行機を見たと
聞いている鶴。 長崎でなければ多分、、鶴は存在しなかった…。
鶴は鶴の子にそのことをどれだけ伝えることができるのかしら?
と、 毎年8月になると考えさせられています。
父が癌だと宣告された時、 お部屋に庭から上がってくる蟻さんを
一つ一つの命の重さは同じと 殺せなかった鶴です。
命って何なんでしょう??とまた考えさせられたchiruさんのこの記事。
今の日本、何かが間違っている気がしている鶴です。
ーーーこんなコメントが一番乗りで申し訳ないです。
Commented by toqqun at 2008-08-18 22:12
昔の母親は強かったなぁ。
あんなつらい時代を生き抜いてきて。

お義父さんとお義母さんがいらっしゃったから、でぶにぃさんがいてくれて、
でぶにぃさんとちるさんがいるから、子供たちがいてくれる。
どれもこれも、欠かすことのできない、大切な絆なんですね。
Commented by sagisouf at 2008-08-18 23:02
日曜日に日本が植民地にしていた朝鮮の人を日本兵として「捕虜見張り人」として雇い、戦後彼らが「戦犯」として裁かれていたのを知り、日本の陸軍のあの時代の“やり方”は馬鹿げていて、あんな人達(東条秀樹)等に我われの運命を任せていたのかと思うと、今更ながら、日本は馬鹿げた戦争をしたもんだと思います。あの戦争でどれだけの人の運命が変わった事か・・・うちのおっちゃんも(父親)戦争の傷跡を戦後引きずって生きてました。精神的に立ち直れずに酒におぼれた人も多かったですね。
そんな時代だから女は強く生きなければ、子供たちを守れなかった。
戦争は1945年に終わらなかったんですよね
Commented by fruitbox-55 at 2008-08-18 23:03
昔の人はみんなそれぞれとてもつらい目にあっているのに
ぜ~んぶ胸のうちに秘めて…凄い事だとおもいます。
ちび~っとのことでグダグダいってる現代の日本人って…?
私には合わない!とか楽しきゃいいじゃん!とか。。。
そんな事選ぶ余地なんかなくて、がまんがまんで一生送ってきた人が
たくさんいますよね~。

なんか変なコメントだけど…
戦争の話を聞くと辛酸を舐めた先輩たちの事が思われて、
「ムリ!」とか「アリエナイ!」とか簡単に口にする事の”悲しさが
身にしみます。
Commented by umih1 at 2008-08-18 23:33
ちるめぐさんとこのお義母さまと、私の祖母はそっくりの境遇です・・・。
祖母は東京で見合い結婚をして、戦禍から逃れるため、一家そろって祖父の生家(山形)へ疎開しました。祖父は体が弱く、結核にかかり、30代で亡くなってしまいました。
明治生まれの厳しい姑と、幼い子供たちを抱えて・・・東京にいる母親には「帰ってきて再婚しなさい」といわれたそうです。でも自分さえ我慢して頑張ればいい・・・そう言って、辛い時は東京行きの汽車の音を聞きに外へでたもんだよ・・・と言っていました。
私は祖母から、耐えるということを教わりました。。。高齢なのでしんどそうですが、もう少し頑張って長生きしてほしいなと思っています。

ちるめぐさんは、いつも自然の命を見つめておられて、写真や文章に愛情がたっぷり感じられます。大好きです。
まるで、鎌倉時代のお坊さんだった明恵上人のようです^^

Commented by kisaragi87 at 2008-08-19 07:14
ちるちゃん、おはよう。
約束していたお話、きかせてくれてありがとう。
でぶにぃさんも、5歳でお父さまをなくされていたのですね、
でもお義母さんが頑張ってこられたから
繋がるものがあったのね、
お義母さんが途中で投げ出していたら、
ちるちゃんまでつながるものがなかったかもしれない。
泣きたい日もあったろうにね。
今はちるちゃんやでぶにぃさんと一緒で、お義母さまお幸せだろうな。
朝焼け、すごいね、燃えとるよ!
今日ね、義母の祥月命日なの
私も少しだけ義母のこと書いたけど、
ちるちゃんとぐうぜんシンクロしていてうれしい^^
Commented by babamaruko at 2008-08-19 08:44
シンクロしたお二人の記事は金メダルじゃ〜。
(鼻はつままんでいいんよ。笑)
冗談はさておき、ぎゅ〜っと中身が濃いお話に、何をコメントしたらいいかわからんです。
先日塾の教師をしている友人に会った時、今の子供には「なぜ人を殺してはいけないのか」というところから教えないといけないんだとか。
それがわからなければ、「戦争はいけない」「原爆の悲劇を知るべきだ」といっても通じないだろうと。
悲しいかなそれが現代なのかと暗い気持ちになりました。むずかしい世の中だと。
ちるさ〜ん。お互いしっかり生きようぜぃ。(ワタシがいっても説得力ないか〜ぁ)(笑)

Commented by 按摩さん at 2008-08-19 10:03 x
ほ~い

んと,…
按摩の親父と母・・・はとこ
んと,…
親族唯一の恋愛結婚 との ことです

んと,・・・
ピカドン・・・亜米利加にとっては(ただの)実験 と
んと,・・・
按摩が小学生のときの体育の(女の)先生
三月十日の空襲・・・にげまわった話 してくれた です

んと,…
(やっぱり)雷電に機上してB-29迎撃したい 按摩です
Commented by maron415 at 2008-08-19 14:17
父方の祖父は、船ごと徴用されて、戦死したそうです。(もちろん遺体なんかないです。)
たぶん、瀬戸内海を通るだけの船かと…それが、南洋の海へでて、物資を運んでたんだなあと。ある本を読んで改めて思い出しました。
父は、八人兄弟で、祖父が戦死したときは、まだ下の子は乳飲み子だったとか…
確かに、戦争がなければ、父もその他の兄弟も、義務教育が終わったら、即働きにでる生活じゃなかっのかもなあとも思いました。
Commented by ONSAI at 2008-08-19 15:17 x
享年41歳 … ですか。

こんなとき、いつも 思うのは、遺された妻や幼子の不憫さと共に
愛しき妻子を置いて逝かねばならない無念さ・歯がゆさを思ってしまいます。
やはり、自分目線 (父親としての)に置き換えて 考えるせいでしょうか。

# 「お父ちゃんは、寝とるだけじゃ、明日になったら、起きるけん、泣くな」
# 「これを逃したら、一生結婚できんじゃろう、思うた。わはははっ!」

この二つの言葉には こっちが泣かされます(ToT)
悲しみの礎の上にある 笑顔は たまりません。

Commented by hokkori-hime at 2008-08-19 17:44
こんにちは、ちるさん。
如月さんとのシンクロ記事、お見事です^^
「昔の者は、鍛え方が違うと」、向かいの畑のおばちゃん(70代くらい)に、良く言われます、まったくそのとおりでつ・・・・
辛抱が足らんのじゃろうねw

そうそう、がんばってこられたばぁちゃんがおられて、でぶにぃさんがいて、一緒になったちるさんが居て・・・・私もお逢いすることができました。
こうしてみると、偶然の積み重ねような気もするけど、必然なのかなぁ~~
Commented by npura at 2008-08-19 18:23
山が 燃える~~~♪なんて唄のように空が燃えています、綺麗ですね
どんな時代も色んな人生があり、人々は家族が生きていく為に一生懸命生きてきたんだと思います
そして我々は今という時代を、やはり家族の為に一生懸命生きている
それは親だからという言葉では表せないものがあると思うんです
「家族愛」「人間愛」生きていくって苦しいけど素晴らしいじゃないですか(^0^)
偶然の積み重ねも重なりが続けば必然なんですね
だから、でぶにぃと出合ったのも必然なんですよ、フレ~フレ~chirumegu oh~(笑)
Commented by bongu04200420 at 2008-08-20 09:57
そうですよね。壮絶な人生ですよね。頭がさがります。たしかに出会いってすごい縁の積み重ねですよね。「らっきー」には不覚にも笑ってしまいましたが。
Commented at 2008-08-20 15:02
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by takisann2000 at 2008-08-20 15:26
私は、祖父の顔を見たことも、あったこともありません。
祖母(30年前に亡くなりました)の苦労も、実際に見てきたわけでもありません。

私のおばぁちゃんも若くして未亡人、子供8人抱えて凄い苦労したんだと思う。 でもおばぁちゃんの口からも、母の口からも苦労したと言う言葉は一切聴かれません。 
たぶん言葉にすると負けてしまうからなんでしょうか?
私自信も本当に辛いことは滅多に言葉にしません、話すと思い出して辛いから~ 
凄い頑張り屋で勝気でモダンなおばぁちゃんの事思い出しました。
Commented by kisaragi87 at 2008-08-20 19:05
ちるちゃん、こんばんは、
せっかくちるちゃんが誘ってくださったので、TBさせていただきました、
ちるちゃんは、よくわからなかったら、無理しないでいいからね^^v
Commented by chirumegu at 2008-08-21 13:45
鶴さん
レスが大変遅くなってごめんなさい。
昨日まで、K山は「廿日えびす祭り」で、賑っていました。
鶴さんも、来ればきっと、役者で出られると思いますよ^m^

アリさんのいのちとお父さまのいのちを、同じ重さで見られる鶴さんが、好きです。
今、あらためて、鶴さんのコメントをもう一度読ませていただいて、涙が止まりません。
そうですか。長崎に落ちたから、今の鶴さんがあるのですね。
どんなにか、複雑な思いになられることでしょう。。
>8月になると・・・
きっと、いろんな気持ちが交差されるんでしょうね。
その思い、お子さんにも、伝わりますとも。。
私にも、届いたんですから。。
ありがとう。。気持ちを分かってくださって。。
>こんなコメントが一番のりで・・・
そんなことは、ありませんよ。
鶴さんの言葉がとても有り難いです。
ありがとうございました。<m(__)m>
Commented by chirumegu at 2008-08-21 13:52
とっくん
そうですね。
昔の女性は、しゃんとしておられましたよね。
いや、とっくんもしっかりしとる。。(まじよ)
年老いたお父さんのことをちゃんと、看ておられるし、、

でも、あの戦争時代をくぐってこられた、お年寄りたちは、こちらが、入り込めないくらいのものを 持っておられると思います。
私があの年になっても、果たして、あんな風にできるかどうか・・・。
問題にならないと思います。
強いよね。ほんと・・・おばさんパワー・・・。

で、義父と義母の絆・・・それは、うなずけます。
でも、でぶにぃとわしの絆・・・・それは、「くされ縁」と言います。(爆)
Commented by chirumegu at 2008-08-21 15:03
sagisoufさん
ほんとうです。
あの戦争だけじゃなく、過去のそして、今もなお、起こっているすべての戦争は、ばかげていると思います。
戦争は絶対にしては、いけません。
お父さま、そんな深い傷を負っておられたんですか?
そばで見ていると、つらかったでしょうね。

>そんな時代だから、女は強く生きなければ・・・
だから、今のおばぁさんは、強いんですね。。
とっくん。。
だって。。うなずけるね。^^
とても、まねができません。

で、sagisouf さん、お父さまのこと「おっちゃん」って呼ばれるんですね。^^
なんか、かわぃぃ♥

Commented by chirumegu at 2008-08-21 15:26
みみなりさん
ほんとうじゃ、ほんとうじゃ!
そうなんですね。分かりました。
昔の人は、そうやって、選ぶ余地がなくて、辛いことや、苦しいことも全部、胸に秘めて生きてきたんですね。
そんなことも口にせず、ただ、ひたすらに、生きてこられた方々、そして、亡くなっていかれた方々の気持ちを思うと、気軽に、「無理無理」とか、言えませんね。
そんな、先達の教訓を心に刻んで、やはり、戦争は繰り返しては、いけないなぁ・・・と、思います。
これ以上、無駄な死を増やしてはならないと・・・。
一緒に、怒ってくださって、ありがとうございます。<m(__)m>
Commented by chirumegu at 2008-08-21 15:52
うみさん
そうですか、、
お祖母さま、苦労されてたんですね。
鶴さんのコメントと同じく、涙がとまりません。
お祖母さま、当時の苦難があって、今があり、きっと、今は仕合わせであられると思います。
うちの義母も、今、仕合わせそうですよ。
再婚・・・
今なら、いくらでもそんな話があったでしょうね。
やはり、みみなりさんが仰るように、昔の女性は、貞操とか辛抱を貫くところがあったんでしょうかね。

>辛い時は外に出て、東京行きの汽車の音を・・・
いい話だなぁ~~。。
爪の垢でも煎じて飲ましちゃろうか←私のことよん。

で、明如上人・・・白洲正子さんの本のお方ですね。
私も、読んでみよっかのぅ。。
でも、すぐ、眠とうなるけんのぅ・・・(-公-、)
うみさんこそ、とっても、やさしくて素敵な 文章を書かれていて、私も大好きです。
Commented by chirumegu at 2008-08-21 16:07
kisaragi ちゃん 2つ
 ↑  ↑  なんか、こう書くようになって、とっても、かわぃぃんじゃけど。でも、そのまんまじゃん。。
いえ、レスですよね。
義母も、苦労してますが、でぶにぃも、苦労してるんですよ。
そして、2人はそっくりです。
2人がえらいなぁ・・と思うのは、そんな苦労を見せないところだと思います。でぶにぃの場合は、苦労を見せないというか、苦労を人にさせるところもあったりするけど。。
2人とも、見ていたら、なんか、おかしいんよねぇ~~。
ばぁちゃんは、わしと一緒で、仕合わせ・・・うんうん、そうなんよ。。
もっと言って、もっと言って( ̄-  ̄ ) ンー
でぶにぃと一緒だと、ちょっと、かわいそうだけどね。。^m^

で、ごめん・・・
あの写真、朝焼けじゃなくて、夕焼けなんよ。。。
あの書き方だと、誰でも朝焼けって思うよね。
「もえる、八月のあ~さ、・・・」
「あさ」ではなくて、「もえる」を強調したかったんさぁ。。
あの歌があるんよ。タイトル、忘れたけど、、
ごめんなさいでした。<m(__)m>

で、シンクロ記事・・・わしも、嬉しかったよん。
うふふっ!TBできたもんねぇ~~。。♥
Commented by chirumegu at 2008-08-21 16:11
うみさん 再び
ごめん!「明如上人」じゃないね。
うえぇぇ~~ん!「明恵上人」じゃった。
これで、また、ONSAIさんに、チェックされるどぉ~~っ!
くそっ!
Commented by chirumegu at 2008-08-21 16:23
babamarukoさん
金メダルをありがとう(^^ゞ
昨日やってたよね。シンクロ・・・。
私も、鼻つまんで、やりてぇぇ~~!
いや、レスを・・・。

まるちゃん、ほんまよ。先生は、大変だと思います。
「死」が、そこにないから、「生」も感じない、ってよく言われていますよね。

どこかの高校で、ひよこから育てさせて、それを、鶏肉にするまでの過程を、ひとりずつの子どもにさせる・・ひよこに名前までつけて・・。

ほんとうに残酷なカリキュラムだと思いますが、そこまでしないと「生死」の問題が、分からないという現代をもどかしく感じた話でした。

いや、まるちゃん、充分説得力あるよ。^^v
Commented by chirumegu at 2008-08-21 16:32
按摩さん
ご両親以外は、みなお見合い結婚なんですか?
うちのご近所の農家のおばさんたち、みんな口を揃えて仰いますよ。
「結婚して、初めて亭主の顔を見た」ってね。
昔の人は恋愛されている人の方が少なかったですね。
本当に、頭が下がります。みんな、辛抱人じゃ。

そう、「ぴか」は、実験です。
体育の女先生も、きっと、悲しみや、苦労を背負って生きていかれたんですね。
>B-29に機上して・・・
一緒に怒ってくれて、ありがとう。。<m(__)m>
Commented by chirumegu at 2008-08-21 16:47
マロンママさん
そうだったんですか。8人もお子さんが・・・。(-公-、)
ママさんのお祖母さまも、そして、お父さまも、苦労されたんですね。
戦争は、どれだけの悲しみと、苦しみを生んだんでしょうね。
それなのに、いまだに、戦争をしてる国がある。。
ママさんの話を聞いてあらためて、それが許せません。

ちなみに、義父は6人兄弟で、生き残ったのは、2人です。
ひとりの叔父は、18歳?で特攻隊に入って、戦死しています。
Commented by chirumegu at 2008-08-21 17:25
ONSAIさん
同じ父親目線で、読んでくださってありがとうございます。<m(__)m>

義母も、85歳です。
けれど、しゃんとして、私よりも計算は早いですよ。
苦難の時代を生き抜いた人は、凄いです。
嫁にはまだまだ、負けられません。(笑)
それに、でぶにぃの抑圧に、私と2人で耐え忍んでいかなければならないからね。
でも、でぶにぃに、たすきを渡せたし、今年からは、長男も帰ってきたし、今はほっとしているし、仕合わせだと思います。

ONSAIさんも、後、もう少しじゃね^^v
きっと、お父さんに負けないいい住職さんになるよ。。
ひ〇〇〇くん・・・。

>この2つの言葉には、こっちが泣かされます
悲しみの礎の上にある笑顔はたまりません。

ありがとう。。気持ちを分かってくださって。。(ToT)
Commented by chirumegu at 2008-08-21 19:26
ほっこりちゃん
示し合わせたんでもないのにね。
ほんと、偶然が重なって、、ぴったし、かんかぁぁんって感じで。
でも、TBのやり方、これで覚えられたと思うけん、よかったぁ。。^m^

向かいの畑のおばぁちゃんのいうことを そのまま受けとめてあげる、ほっこりちゃんが、だぁ~~ぃ好き!

で、でぶにぃとの出会い・・・kisaragi ちゃんとのシンクロみたいに偶然が重なったんだろうけど(笑)
でも、npuraさんが仰るように、「必然」って考えると、今ここにいることを喜べることになるんじゃないかしらん・・。

とにかくぅ、、ここに嫁にきて、PCつつけるようになって、ネットして、ブログ始めて、新着記事をクリックして、ほっこりちゃんに出会えたことを、喜んでいます。。なんちゃって^m^
Commented by chirumegu at 2008-08-21 19:37
npuraさん
ね、きれいな空ですよね。
燃えるような色に、思わずカメラを撮りに入って、シャッターを押していました。
>それは、親だからという言葉では表わせない・・・
理屈を越えたところに、生きてきたあかしがありますよね。
だから、ひとことで、「苦労」っていえないんだと思います。
笑いとばすしかないですよね。
そこに、泣かされます。

わぁ~~い!npuraさんに、応援してもろうたわぃっ!!^0^
でぶにぃも、もう、怖わぁないどぉ~~っ!(爆)
ありがとうございました。。
Commented by chirumegu at 2008-08-21 19:41
凡愚さん
そうですね。縁の積み重ね・・・。凄いです。
って、凡愚さんと、わしもよねぇ~~。。^^v
赤い糸、、ではなくて、「黒」かもしれん。。← わしのことよん
Commented by chirumegu at 2008-08-21 19:42
鍵コメさん
了解です。
昨日、メールを送りました。
って、もう、読んでおられるでしょうね。
ごめんなさいね。てべてべで・・・・。<m(__)m>
Commented by chirumegu at 2008-08-21 19:52
ちぃちゃんさん
そうですか。。
8人もお子さんがおありで、、、

どんなにか、苦労されたことでしょうね。
あの時代には、女性の地位はとても低かったから、悔し涙をこぼされることも、何度もあったことでしょう。
本当に、苦労された方は、口には出せないですよね。
凄いです。

で、>勝気で、モダンなおばあちゃん・・・
どんなんだろう。。
私、好きなんです。昔のモダンな女性。
かっこいいですよねぇ。。
見てみたいなぁ~~♥
Commented by KOKO at 2008-08-22 20:28 x
でぶにぃさん、5歳でお父さんを亡くされたんだね。 お義母さん苦労されたんだね。 ただ、だた、必死で家業を守り、3人の子どもを守り...
で、今がある。  ほんとに、人生とは、縁がまわりまわって、つながっていくもの... だね。 
(くされ縁も、大切な縁!!だよ^^♥)

おそらくあの時代に生きた方たちは、生きていくことで精一杯で、苦労を
苦労ともせずに、自分が仕合せだとか、そうじゃないとか、考えてる場合じゃなかったんよね。 
だから、うちの お義母も、のーてんきで、強くて、なんでも笑いとばす、<すてきばあちゃん>  でっす!! 
Commented at 2008-08-22 21:21 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by chirumegu at 2008-08-23 11:03
KOKOさん
おひさじゃね。
あんがと、来てくれて、コメまで入れてくれて。。^^
そうそう、生きていると、いろんな縁がよって集まって初めてこの自分があると、感じずにはいられないよ。
ばぁちゃんが、ここにこなかったら、今の私は、ここにいないんだと思ったら、こうやって、ネットをしている私が不思議でならんのよ。

そう、KOKOんちの、ばぁちゃんも、苦労してこられたんじゃね。
でも、実家のお母さんも、苦労されたと思ってます。特に、わしらが、大学時代・・・むふっ^m^

そっか、くされ縁も大切な縁って、考えれば、でぶにぃへの、憎しみも薄れるかもね。。^^v
あんがと<m(__)m>
Commented by chirumegu at 2008-08-23 11:11
鍵コメ2008-08-22 21:21さん
よかったよかったぁ^^・・・できたね。
>言うてくれることは、ちーとも変わってない。。
相変わらず、てべてべじゃろ?
そっか、、鍵さんも、大変な日々を送ってきたんじゃね。

>どうやって、気持ちを持ち直したか?
それは、じっと、自分の内側を見るしかなかった。。
どうにも、できんかったけど、できることは、それしかなかったよ。
今でも、かなり、しんどいけど、そこからは、逃れられないし、ま、どうにかなるさぁ~・・・で、気持ちを切り替えるしかないよね。
もっと、気分を楽に、、らくぅ~~~に・・・
時は、勝手に過ぎていきます。ねっ^^v
Commented by KOKO at 2008-08-23 20:48 x
また、大発見!! 
うちはね、<鍵コメ>さんって方が いらっしゃると、ずーっと、おもっとたんよ ^^v
↑ ↑ のコメ見て、きがついた。 なんて バカ、バカ、アンポンタン!!
アンポンタンも、ここまできたら、かわいいじゃろ~~。(*^。^*)
かわいいのは、昔から。なーんて 言わないで ♥ ぽわーん。

あんがと。あんがと。^^0
Commented by chirumegu at 2008-08-23 21:27
KOKOさん
ば〇も、ここまで行くと・・・(-公-、)=3
いや、ちゃうちゃう。。そんなこと言いまへん。
ぶるぶる・・・とんでもない。。
で、かわいぃのは、昔から。。
そんなことも、誰も言ってないんですけど・・・。(爆)

>バカ、バカ、アンポンタン・・・
それを言うなら、
ばか、かば、ちんどんや・・・ではないでしょうか?

ったく、なんのコメかと思えば・・・人騒がせな・・・
ぶつぶつ・・・ごにょごにょ・・・(-公-、)

でも、大笑いさせていただきやした。あんがとね。^m^
変わってないのは、お互いさまじゃ。。


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