散る桜もまたさくら

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カテゴリ:生きとるね( 40 )


2012年 05月 01日

入院談 ~ぶーびー章

病院の集中治療室・ICUは、大方ナースステーションの隣にあるが、
わしが入院していたみつぎ総合病院の集中治療室・ICUは、
ナースステーションを広くとりその中にあった。
そこは空いていただろうという空間に
10台ほど点在させられたベッドはすべてカーテンで仕切られており、
わしは、その一番奥に投げ込まれるようにして寝かせられた。

以前の記事にも書いた通り、そこで10日間過ごしたわけだが、
その間中まるで
救命病棟24時とか言うドラマのキャストの一員になったよな気になっていた
アリエンガ( ̄▽ ̄)
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救急車で運ばれMRIを撮り、その直後に
看護師さんが、
手早く血圧や熱を測り、
わしが来ていたパジャマを手際よく脱がせ
それから院内着に着替えさせ
ハルンバッグをつけてくれた。
その後、なんやらかんやらしてくれたが、
覚えてねぇゎ(;一_一)
覚えとるのは、
わしの目をこじ開けその目に向かって
ペンライトを照らしゆっくりと左右に振り
瞳孔が正常かどうかを調べてくれたということぐらいかの。

「ごめんなさいね、ちるめぐさん。眩しいけど、我慢してぇね」
優しく言いながら覗くその人の目は
じぃっと真剣に見開いてとても美しかった。
頭が、くそ痛かったわしには、まるで天女が降りてきたのかと思えて
この時ばかりは、心地ええ気がした。
名前はよう覚えんかったが、
このべっぴんがいっちゃん最初に会うた看護師さんであった。
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皆さんもご存じであろうが、ICUでは
面会も家族のみで、一人ずつで5分間のみ。
しかもICUに入る専用の胴着とキャップとスリッパをつけて
おまけに手や身体、足に至るまで
アルコールで消毒して入らなければならない。
その胴着とキャップは淡い水色しとった・・・


これを、、、


つけてKやらでぶがつけて入ってきたら・・・


特にキャップ・・・(● ´艸`)ププッ



他の人らがおるし
笑うたらいけんけ、堪えるのにわしゃ苦労したゎぃや
_( ̄▼ ̄)ノ彡☆ばんばん!

あ、いや全然関係なかった<(_ _)>

ICUでは、ぼれぇよぉけの看護師さんがおった。
頭がぼぉーとしとって
何人か数え切れんかったんじゃが、
そのよぉけの看護師さんらが、
座ってぺちゃっとるところを見たことがなかった。
何か知らんが、いっつも動き回っとった。
てかいっつも走りまわっとった。
昼間はもちろん、夜中じゃろぅが四六時中。
ICUの中の患者さんの見回りが終わったら
一般病室の患者さん。
やっと見回りが終わった思うたら
ナースコール。。
で、それで終わりか思うたら
それぞれの患者さんの点滴をやりかえる作業。。

へぇで、日替わり定食みたげに救急患者がやってきて
また、わしみたげにICUに放り込まれる。

こげなけん、看護師さんが足りんのんじゃのぅ。。
分かり切ったことじゃったが、
同じ部屋でその実情をまざまざと見せつけられたよぅな。


コンチもコンチも救急車で運ばれてくる患者さんは
わしとあと2人の同年代のおばさん2人と小学5年生のHかちゃんの
計4人以外は、
何故か75歳以上の後期高齢者のおじぃさんばっかじゃった。
じゃけん、看護師さんらは、必然的に努めて声がでかい。
耳が遠いけんのぅ、、おじいさんら…^m^
何でか知らんけど、おばぁさんよりおじぃさんの方が
圧倒的に多かった。

おじぃさんは、どの人もこの人もさみしがり屋じゃった。

特に夜中は奥さんも帰っていかれるので、たいがい
おらびよる。
「おらぶ」…分かりるぅ^m^
広島弁で「叫ぶ」言うことなんよ。。

おじぃさんは、一人だけじゃのぅて、
仰山おるけん、看護師さんも座る暇もねぇゎね。
でも、どの患者さんにも平等に接してあげよった。
ICUから出て5日以上が過ぎて退院の声が聞こえ始めたごろ
5年生のHかちゃんが退院して代わりに82歳のおばあさんが入ってきた。
このおばあさんは腎臓が悪く入院して1日おきに透析を受けておられた。
透析を受けたその晩は、一晩中唸っておられた。

その日も透析があり、おばあさんは、朝ご飯も抜き、
昼ごはんは透析がずれ込んで遅ぅなって、食べられんかったし、
晩ごはんは透析後の名残りでぼれぇしんどうて就寝前頃になって
ようよう食べる気になったらしぃ。
で、おばあさん、
「食べにゃいけまぁのぅ、、しんでぇが、食べてみるゎ」と、
頑張って食べ始めた。
若ぅてシャキシャキの看護師のオオマエさんが、
「ほんじゃ、私は、他の患者さんのところに行っとるけ、
何かあったらこれを押してぇね」
他の病室から呼ばれてオオマエさんは、
そう言いながらナースコールをおばあさんに渡し
はるか向こうの病室までかけって行った。

し~んと音のする中
カーテン越しに聞こえてくるおばぁさんの食べる音。
かちゃかちゃ
ずぅーこ ずぅーこ
スプーンと食器がすれ合う音やらすする音。

そのうち色んな音が聞こえてきだした。
「ふむ」「ふむ」「ふむ」「うん」「ふんが」
・・・「んぐっ」「むっ」
何か変=( =`д´= ;)⇒

わしもベッドから起き上がりカーテンをはぐり
「どしたん、おばあさん!!もう食べれんのじゃねぇん?」
声をかけたが、おばぁさん、それでもまだひたすらスプーンで口に運んどる。

急いで廊下に出てみるとさっきのオオマエさんが
他の病室に向かって走りよった。
「オオマエさん!!おばあさん、何か変なよ」
すぐにオオマエさんは、来てくれ、おばあさんを看てくれた。

「おばあさん!どしたん、もうこんとに食べたん?」
オオマエさんは、器の中の料理があまりにも早く減っているのに驚く。
「ちょっと口の中見せてみ!」
「うゎっ!!!!どしたんね!中が見れんぐらい詰め込んでからにっ!!」

おばあさん、
もう就寝の時間じゃし、
迷惑かけたらいけんし、
今日は朝から何も食べてないし、
元気つけよ
と、そう色々思うたらしい。
で、いっぱい、いっぱい、いっぱい
早ぅ、早ぅ、早ぅ
と、一生懸命食べようと詰め込んだんじゃろぅのぅ。。

オオマエさんのおばあさんの口への検問はひたすら続く
「うゎっ!!ちょっと春菊のおひたしが噛めてないじゃん
うゎっ!!しいたけも、たけのこもじゃんっ!!
こんとによぅけこの口に入ったねぇっ!」

オオマエさん手羽・・・リアル(;一_一)

「もぅぅっ!!・・・いけんっ!」
「おばあさん、これじゃ、透析をがんばってしても、こんとな食べ方しよったら
意味ないじゃん!!何のために透析するん。
少しずつゆっくり噛んで食べにゃ、死んでしまうよっ!
うちゃぁ、どぅしたらええんね、
おばあさんが、死んだらどうしたらええんねっ!(ノ`A´)ノ ⌒┫」
「あったまきた!ごめん、おばあさん、今から厨房に言うけんね、
美味しぅないけど、ミキサーにかけてどろどろのご飯にしてもらうけ。」
「ちるさん、ありがとう、おばあさん、死にかけよったんよ、ほんまにありがとう!」
そう言いながらおばあさんの食べこぼしや、出したものをきれいに片づけて、
今度はナースステーションに走っていった。

オオマエさん、本気でおばあさんのこと怒りよった。
おばあさんのいのちに本気で向き合ぅとった。
わしゃ、隣のカーテンのベッドで売る売るきた(-公-、)
オオマエさんみたげに生きたいと思うた。

オオマエさんだけじゃなしに、
みつぎ病院の第2病棟の看護師さんは、皆本気じゃったです。

すみません、コメント欄…
また閉じさせていただきます。
でも、今回が最後です。次回は、
開けられると思いますので、よろしくお願いいたします<(_ _)>

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by chirumegu | 2012-05-01 20:29 | 生きとるね
2012年 04月 16日

入院騒

その日も朝から慌ただしく、
一日中外出しとって、帰路に着いたのは5時前じゃったと思う。

それから晩ごはんの準備にとりかかった。
何を作ったのか覚えてはいないが、
手抜き料理がめちゃ②得意なわしにしてみれば、
手の込んだものじゃったような…( ̄▽ ̄)

作り始めて
「しもうたっ!!このレシピのぶにに
せにゃぁえかったゎぃやっ=( =`д´= ;)⇒!!
た、たいぎぃのぅやぁ(;´д` )」

と、後悔の渦に溺れたのを覚えている。

へぇでから、
何かよう覚えてないもんを晩ごはんにいただいて、

さて、お琴でもやろっかのぅ・・・
と、思いよったら、でぶの奴が、
「おい、ちるっ。頼んどいたぶに、あれよ、あれっ!
やってぇてくれぇ。」

げっ!わ、忘れとったやんけ=( =`д´= ;)⇒

1ヶ月前からでぶに頼まれておったパソコンでの作業
思い出したでぶにせがまれ
しょうことなしにやった。
1時間
しかも火の気のない場所で
その日は、丁度ええ具合に、
ぼれぇさBぃ日じゃった。
しかも、その作業が思うように完成できんかったという落胆と相まって
わしの体内の欠陥・・・じゃねぇゎ、
血管はおそらく最少と言うてええぐらいに
縮こまっとったに違いない。

自分が作業が出来んかったのを棚に上げ

「ふんっ!もぉっ!知らんっ!ふんっ!さBぃしっ!
風呂ぇ、入って一杯呑んで寝るゎっ!!(ノ`A´)ノ ⌒┫」
と、

やけくそになり、風呂に入ったんがいけんかった(-公-、)

風呂の湯船は温ぃが、
洗面所、風呂の部屋の温度は震え上がるほどぼれぇさBぃ
思い出しても・・・ぞぉぉぉぉ~~~っ!=( =`д´= ;)⇒

縮こまっとった血管が
一気にまた硬ぅなっていくのが分かるぐらいさBぃかった。
身体を擦りよる間に

うぅぅぅ・・・
な、なんか変じゃ( ̄ii ̄)ハナヂヌケソ
さぶ杉じゃ。

ちょっち温もろぅか、
と、いきなり湯を身体に流してしもうた。
そこで、固く縮こまった血管が一気に膨張したんじゃろうて。
「ぱりんっ」
言うて血管が割れた

と、いうわけではないだろうが
それぐらいの
気持ち悪さが全身を覆った。
間髪入れず
前回の出血の時と同じ激しい痛みが
後ろ頭を襲いだした。
( ̄Д ̄;)ガーン
と、言うより
ヽ( .∀.)ノ┌┛Σ(ノ `Д´)ノゲシッ
と、ハンマーのようなもんで殴られた感じぃ( ̄▽ ̄)

わ、わし
死ぬんかのぅ( ̄ii ̄)ブヒ
あ、いや
こ、こげな
し、しかも全裸で・・・
そ、そげな・・・


と、しんどいのに、そげな余裕かまして
まだ、泡がついたまんまだろう身体で
湯船で温もらず、風呂から出てパジャマを着て
居間で蹲る。
寝とぅても、座りとぅても、頭が痛すぎて
どぅもできんかった(-公-、)ドモナラン

そこを
でぶに見つけられ
病院へと。
詳しく言えば
世羅中央病院に連れて行かれ
CT撮って、出血がみつかり
そこから
みつぎ町の総合病院に
敢え無く救急車で強制送還され
前回と同じく
MRI撮影され、ハルンバッグをつけられ
ICUへ
10日間の面会謝絶、
一般病室に移り10日間の
計20日間の入院と相成りぃ。。

と、入院の際の状況を簡単に
報告してみる・・・(・◇・ゞ



そこで、色々な人に出会い
人と人との触れ合いをさせていただき
色々なことお尻
あ、いやもとい
わしにとって大切なことを知り
てか、知らさせていただき
今回の入院は
実におみのりある20日間であった。

そのことを臭わせておいて、
次回へと
つづくぅ~~~っ!
くさっ!
くぅっさぁ~~~っ!
=( =`д´= ;)⇒クサッ!!


で、竹苑!
わしらの結婚25周年の時
あんたらが植えてくれた桜の苗木…
今年初めて鼻目
じゃなしに花目がついて
5つほど咲いたでぇ~^^
植えてくれた時よりも
咲いた今の方が何でかしらんけど、
嬉しいゎ。。
この桜もほそぼそと生きてきたんじゃのぅ。
これからも、ほそぼそと遠慮しながら、
生きていくんかの
くぇんきょに…


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なんちて、
ぎちょうさん^^v


※すみません。
今回もコメント欄
閉じさせていただきます。
いつも勝手ばかり言うてすみません<(_ _)>

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by chirumegu | 2012-04-16 21:45 | 生きとるね
2012年 01月 24日

しげちゃんへ

K山に嫁に来てそれまで同じ仕事の組で一緒になることはあっても
今ほどの関係ではなかった。
「琴が弾けるようになりたい」
そげなことを思い、
ずっと前からやりよったしげちゃんに問うために、
電話をかけたのがしげちゃんとわしの関係の始まりじゃったのぅ。
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今でも忘れんゎ。

「しげこさん、お琴やっておられるんじゃろ?どげなですか?」
「ほうよ、楽しいんよ、ちるさんも一緒にやらん?」
こげに言うてくれて、8年前に始めたお琴。

以来、しげちゃんにはお琴だけではなく、
大切なことを仰山教えていただいたのぅ。
仕事でもお琴でも先輩で、
わしにはお姉ちゃんみたげな存在じゃったゎ。
ずっと前を歩いていってほしかった。


なのに・・・
なのに・・・


去年の5月、あげに元気じゃったしげちゃんは、病に倒れ
ご家族みんなでの手厚い介護での
闘病の甲斐もむなしくこの18日の引き潮の朝
旅立っていった。

わしも含めみんな涙にくれとるで(ノДT)アゥゥ
ぽっかり穴があいたみたげな
何にもする気がせんかったゎ。

でも、こないだ仕事に出たら、
しげちゃんがそばにおって一緒に仕事をしてとる気がしたゎ。
昨日もお琴の練習しよったら
しげちゃんがそばにおって一緒に弾いてくれとる気がした。

不思議じゃ。

しげちゃんがおった時よりも今の方が身近に感じる。
しげちゃんが一生懸命やりよったことをやったら
そばにおって、一緒にやってくれとる気がする。

ほうよのぅ。。
泣いてばっかじゃいけんのぅ。

しげちゃんのお嬢も言うとった。
「母は、
『やりたいことを精一杯やらせて貰うて私の人生は仕合せじゃったよ』
最後に、そう言っていました」

わしも精一杯やろ。。^^
今度しげちゃんに逢うた時はずかしいけ。

なもあみだぶつ
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by chirumegu | 2012-01-24 21:50 | 生きとるね
2011年 09月 24日

親のかげ

雨があがった翌朝、ふと庭に目をやると、思わず
「あっぱれっ!!」と、賛美の声をあげてしもうた。
美しかった。
前日の晩、雨をうけて、一本一本の糸に雨だれが不規則に残り、
芸術作品に、より一層磨きがかけられていた。
なのに…
蜘蛛くん、ええ写真にならなんだ。
すまんのぅ
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物干しざおに
しがみついて、一生懸命。。
生きちょるのぅ
あんた、偉いのぅ
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今日の田んぼ。。
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秋のお仕事も、今日と明日で、終盤かのぅ。。
きれいに刈り込んで、
刈り込んだ後の、この風景も、わしゃ好きじゃ。
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この稲の株
これを見るたんび、思い出す言葉がある
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「子は親のかげ 麦はくれのかげ」

あるおばあさんの口癖じゃったという。
そのおばあさんは、
晩年は認知症になり、嫁のさかえさんの手をほとほと焼かせた。
さかえさんは、情けのぅて情けのぅて、
K山のショッピングモール・パオに買い物へ
一緒に連れて行った帰りなぞ
近くのダムに
車ごめ飛び込もうかと
思い詰めたことも何度もあったほど
おばあさんの認知はひどかった。

そのおばあさんも亡くなり、
さかえさんは、
おばあさんの口癖じゃったこの言葉をよく思い出すと。。

「かげ」は「おかげ」

「くれ」は、この辺の言葉で
刈り取った後に残った「稲の株」のこと

麦は、稲の刈り取りの後に植える。
たまたま残っておった稲の株のそばに植えた麦は、
逞しく、逞しく育ち、ええ麦になると。
その株が大きければ大きいほどええ麦ができると。

その株は、冬の厳しいさぶさから
麦を守り
あるいは、株に残っていた養分を麦に与えておるのかもしれん。
とにかく「くれ」のおかげで麦はええ麦に育つと。

そのイトナミには、驕りの微塵もない。

「子は親のかげ 麦はくれのかげ」

生きとるうちは、一緒に死のうかと思うたぐらいのおばあさんであったが、
さかえさんは、在りし日のおばあさんを思い出しながら、
「ええおばあさんじゃったんよ」と、
涙ながらに、この言葉をわしに教えてくださった。

「嫁に来てからは、わが親よりもおばあさんにはおかげを貰うたんよ
わが親よりも、親じゃ思うんよ」
そう言うさかえさんの言葉には、
おばあさんを亡くした寂しさがいっぱい詰まっとった。

稲の株を見るたんび、何か知らんけど、しんみりするんよね(-公-、)
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by chirumegu | 2011-09-24 19:47 | 生きとるね | Comments(20)
2011年 09月 14日

oichan

おぃ、ちるっ!「レイテ沖戦線」で、調べてくれぇ。
思えば、一昨年のせっきの頃、でぶのこの一言が、
わしの「いらっ」の始まりじゃった。
叔父E俊のことを調べたいというでぶ。
E俊叔父は特攻隊に志願し、「鳥海」という重巡洋艦に乗り、
昭和19年10月に被弾され艦ごと沈みレイテ沖に散華した。
遺品やお骨などというものは一切なく、
ただ石の入った小さい木箱と、
レイテ沖にて死亡の年月日と
「鳥海」の乗員だったことが簡単に書かれてある紙切れ1枚
それのみ、軍から送られて来たという。
しかし、でぶが何で調べたのかは定かではないが、
それには「鳥海」は、25日に沈んだと記載されていたと。

紙切れには27日死亡とあり、
この2日のずれがでぶの腐った脳みそに「?」マークを刻み付けた。
でぶの言い分を聞いたわしは、なるほど、、、

でぶには「?」
わしの腐った脳みそには「いらっ」がちょびっと刻み付けられた。

ふぅむ…
ならばと、
「重巡洋艦鳥海」で検索してみた。
いっぱい出てきた。
あちこち覗いてみたら…
あったあった(゜▽゜人)
あちこちしたのでどのぶにか分からんようになり、
リンク貼れんけど、すみません

「鳥海」は昭和19年10月25日、敵艦隊と交戦中被弾、
火災を誘発しふらふら状態となり、
警戒にあたっていた「藤波」が
「鳥海」の乗員を収容後、魚雷を発射し、
「鳥海」は自沈。
その後「藤波」は、主隊と別れて別行動中、
二日後の27日、敵航空機の大編隊と遭遇し、
これ以上ないだろうというぐらいの攻撃を受け沈没したと。
これが2日の違いの答えじゃった。
これでちょっち、わしら1匹と1人はすっきりんこ。

でも、

でも

…余計に涙をそそる・・・
おいちゃん、会いてぇゎ、わし・・・(-公-、)

が、しかし、今年の盆を過ぎたごろから、
でぶの頭のねじがまた、はずれだした。

「おい、ちるっ!鳥海、藤波の慰霊碑が写っとったぶにをまた出してくれっ!」
「はぁっ?」
「墓よ、墓、墓っ」
と、3回繰り返し言うて、きかぬでぶ。

と、こう書いても皆さんにはお分かりいただけないだろう。
この慰霊碑のことである。。
この慰霊碑に
叔父「ちるめぐE俊」の名が刻んであるかどうかが知りたかったらしい。
もし名前があるのなら佐世保まで行き、
お参りし、写真も撮りたいと。。
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ふむ…
でぶのその気持ち・・・分からなくもないな。。

このサイトも何度も訪問し、
見えぬのが分かっておりながらも、
碑の写真を左右から上から、
阿呆げに覗き込んでみたり、
色んなサイトを覗いてみるも
「いらっ」は、増すばかりなりけりじゃった。
あるサイトには、名簿も保存してあると載せてあった。

それに戦没者は「鳥海」830名、「藤波」130名じゃったと。
こ、この中にE俊叔父が確かにおったんじゃ(┳◇┳)
「いらっ」が増すのと並行して、
わしのE俊叔父の入隊以降の状況を知りたい度は
どんどん上昇していった。

ネットでは限界があるのぅ。
直接声をこの耳で聞いて確かめたいのぅ。。

とうとう、わしの「いらっ」が10乗ぐらいになり、
まず、佐世保の海軍墓地の電話番号を「104」で問い、
教えていただいた。
その電話をかけてみた。
ぴっぴっぴっぴっ…

Trrrrrrrrr
Trrrrrrrrr
Trrrrrrrrr

「はい、佐世保海軍墓地東山公園です」
受話器の向こうで、耳が痛くなるぐらい元気のよい、
早口のおじさんの声が答えた。

げっ!通じたやんけっ(゜▽゜人)
かかって当たり前のことだが、飛び上がりたいぐらい嬉しかった。

「あの、鳥海・藤波の慰霊碑のことでお尋ねしたいのですが」
間髪入れず
「はいっ!あります、ありますよっ!鳥海・藤波の慰霊碑っ!」
お、おじさん、、ぼれぇ張り切っとる=( =`д´= ;)⇒
そ、それに、このスピード感に着いていけてねぇゎ、わし(-公-、)
「芳名碑が、そばにありましたが、
それには乗員の全ての方のお名前が刻んであるんでしょうか?」
てべてべとわしが問うと、
「あーっ、…全員は、書いてないんですよ。ご遺族の方ですか?
ここの鳥海・藤波の慰霊碑は、
九州・四国地方の遺族の有志の方が建てられたんですよ。
どちらの出身ですか?」

半ば残念げに、聞いてくれるおじさん。

「広島なんです」
「あーっ!広島は載ってないですねぇ。」

おじさんの落胆ぶりは隠しきれず、
電話線を通してわしのところまで伝わってきた。

「この碑は、さっきも言いましたように、
九州・四国・沖縄地方の人々が建てられたので、
お名前もその地方の戦没者の方のしかのっていないんですよ」

「あぁ、そうですかぁ(-公-、)残念です。
あ、でも、名簿がそこに保存してあると聞いたのですが、
その名簿もやはりその地方の方のしか載ってないんですか?」

「広島のお名前は何と仰いますか?」
「ちるめぐE俊です。」

おじさんは、しばらく名簿を見て探してくださっていたが、
「17万人以上のお方が載っているので、ちょっと調べて、
もし、あるようなら、折り返し電話させていただきます。」

そう言うて、わしの返事も聞かず、
ぷちんと電話を切ったその一連の会話のおじさんの声には、
かなりの「わくわく感」を感じ取ることができた。
これから調べて、名前があったらいいな♪
みたげな、仕事人の血が騒ぐ…
みたげな声じゃった。
ええおじさんじゃった。
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待つこと1時間…
おじさん、「あったら電話します」言いよったよのぅ、
やっぱ、なかったんじゃろぅのぅ…(-公-、)
半分諦めておったら、
・・・・
かかってきたんよね♪

「すみません、お待たせして。」
「あ、いえ、こちらこそ、めんどくさいことを言うて、すみません。」

「それがねぇ、やはりここには、
『ちるめぐE俊さん』のお名前はありませんでした。
色々な方面から探してみたんですが、
やはりありませんでした。
呉にも海軍墓地があるのでそこにも問い合わせてみましたが、
そこにもありませんでした。
で、
それがですよね。(わくわく)
なんと!!
呉の職員さんが仰るには、
東京の霞が関にある、、
分かります?霞ヶ関ですよ。。
その中にある、『厚生労働省の社会・援護局』
と、言うところに電話をして、聞いてみられたら、
何時入隊してどこから出発して、どこに行って、
どこでなくなられたかと言うことを
逐一全部っ教えてくれるそうです。
電話番号と住所を今から言いますので、電話してみてください。
ええですか?霞ヶ関の厚生労働省ですよっ!」
( ..)φメモメモ
「はぁ。。」
と、返事をして、
こ、ここまで調べてくださって…親切なおじさんじゃ( ̄▽ ̄)
と、ほのぼのしながら電話を切って、
落ち着いて書きとめたメモの住所と宛名をもう一度見てみる
( ̄ ̄ ̄__ ̄ ̄ ̄)ジー


えぇぇぇ~~~っ!こ、厚生労働省ぉっ!!=( =`д´= ;)⇒キョドキョド

電話をするわしを想像してみる( ̄▽ ̄)タリラン

こ、このわしが、こ、厚生労働省に、電話をかけるん?

ぼれ旨のはずのあんかけチャーハンの「あん」を作る時に
固めの「あん」にせにゃならんのに、
片栗粉をけちって妙にさらさらの「あん」ができ、
あんまし旨ぅないあんかけチャーハンになった時の「あ
ん」みたげに、だらだらへにょやおいこのわしが、
鉄人28号みたげに超固げな霞が関の厚生労働省に電話をかけるん?

再び…
ええぇぇぇぇぇ~~~っ!=( =`д´= ;)⇒
ど、どぉしよ=( =`д´= ;)⇒

どん引きぃ~~(-公-、)

と、言ういきさつの、かくかくしかじかで、
そげな超お固いところに電話をかけることになったわしじゃった。

電話をかけてみると
厚生労働省の社会・援護局というところにも仰山科があり、
なんちゃらかんちゃらとうざややこしいぐらい
「少々お待ちください」と、
何度も色んな「科」に回されて、
やっと「資料第四係」というところに辿り着けてくださった。

その声の主は、
先ほどの海軍墓地のおじさんの騒々しさとは打って変わり、
「し~ん」と言う音が聞こえてきそうなぐらい、
静かで落ち着いた声じゃった。

かくかくしかじかでと、訳を伝えると、

「こちらから書類をお送りいたしますので、
それに記載されている必要書類と、
ご遺族の情報を記載していただく書類に必要事項を書いていただき、
それらをまた、当方にお送りください。
その情報に基づき、調べてまたお送りいたします。」
と、ちる家の住所、でぶにぃの名前、電話番号などを伝え、電話を切った。

それから一週間経ったごろ、社会・援護局のお方は、本当に送ってくださった。
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役場で戸籍や住民票をとったり、簡単には教えていただけないが、
先日それらを局に送付した。

「送るにゃ送ったが、そげに変わったこたぁ分からんじゃろぅのぅ」
でぶはこのように言うが、一連の経緯は、わしらのええ経験となった。

レイテという言葉で色々検索していたごろ、こげな素敵なブログにも出会えたし
てんちゃんさんが紹介しておられる
「レイテからの葉書」の動画のお方のお父さんは、
愛する妻子を守るために比島沖で散ってゆかれたが、
これも泣ける。
西田さんも号泣しておられた。

然してE俊叔父は、守るものがあったんじゃろか。。
どげな気持ちで、死んでいったんじゃろか(ノДT)アゥゥ

E俊叔父が何時入隊し、どこから飛び立って、どこに行って云々
そげなことを知ってもE俊叔父の気持ちなんぞ分かろうはずもないが、

・・・でも知りたい(-公-、)

今、でぶもわしも
ただ
ただ・・・局からの便りを待っている。
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盆過ぎから考えがまとまらず、閃きも浮かばず、
悶々としながらちびりちびり書いとったら
ぼれぇ長ぅなってしもうてすみません。

と、ここまで昨日、
仕事の合間にてべてべと下書き保存しておったら、
夕方…

折しも、局から電話が入り、E俊叔父の兄、
つまりでぶにぃの父親E蔵と
でぶにぃとの関係を記した書類を送ってくれと。

そして、いつ入隊し、どこから出航したかという情報は、
防衛庁の管轄なのでそこへも問わにゃならんと。。

がびぃ~~ん( ̄▽ ̄)
E俊叔父の気持ちが分かるかもしれない日に辿り着くには…


ま、まだまだ長い道のりじゃ。

ちゃんちゃん♪
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by chirumegu | 2011-09-14 20:46 | 生きとるね | Comments(22)
2011年 07月 28日

ばぁちゃんの里帰り・続編

今更続きというのも烏滸がましいですが…
すみません、更新が滞って


階段をうんしょうんしょとゆっくりかけあがり、
無事に新幹線に乗れることができた3人、、、

小倉駅に着いたら昼前じゃった。
駅ビルの中で3人は昼食をとった。
小倉は都会じゃのぅ。
色んな店があった。
3人はどこで何を食べるぅ??

まず、それが問題で迷うが、
てんぷらの店のウィンドーが空腹の3人の触角を刺激した。
色んなてんぷら定食のフィギュアが旨げに飾られとった。

わぁ、、ここにしようや♪
三人のお昼ご飯は天ぷら定食に相成りぃ

ばぁちゃんは「さくら天ぷら定食」
姉ちゃんは「ラフテー定食」
わしは「チキン南蛮定食」
を注文した。
が、すかす

三人の注文のブツがきた時にゃ、ちっくし引いてしもぅた。

トレイの上には天ぷらがどっさりと二皿ものっておったしぃ、
なんせ、この三人は、元気になったとは言え、
病気療養中の姉ちゃんと、
すっかりようなったとは言え、いまいち身体がはっきりせん時があるわし、
残るは、90歳前のばぁちゃん、
それぞれ、脂っこいもんは控えた方がええよな気もする。
まぁ、注文してしもうたもんは仕方がないので、
とりあえず、腹に入れた。
が、びっくり!3人とも、全部平らげてしもうた=( =`д´= ;)⇒
う、旨かった。
外はさくさくのかりかりで、中はジューシーに揚がった天ぷら。。
旨かった^^v

あ、いや、こげなこたぁどぅでもえかったんじゃった(^^ゞ

3人は、昼食を済ませ、いざ直方へと、たかえ叔母さんに会いに行った。

ばぁちゃんのお里に着き、玄関で、
「こにゃにゃちはぁ~」とは言わず
(ん?どっかで聞いたことがあるのぅ、のぉや、皿、^m^)
「こんにちわぁ」と、声をかけると、
こっつんこっつんと、音をさせながらたかえ叔母さんは、
両脇に松葉づえを二本抱えて迎え出てくださった。
3人共、び、びっくらこいたゎ=( =`д´= ;)⇒

「まぁ、あんた、どぉしたぁんの!!」ばぁちゃんも思わず叫んだ。

ばぁちゃんは、たかえ叔母のこの変わり果てた姿を見た瞬間、
叔母の将来を心配すると同時に、
これから会いに行く頓野のすみこ叔母の様態を懸念したに違いなかった。
すみこ叔母は、わしらが直方に行く1週間前に
調子をくずし入院、検査待ち状態だったのだ。

「ふ、二人とも大丈夫なんじゃろか。うち一人を置いて逝かんでくれぇよ」
と、こげに思うたに違いない。

そこで、茶をよばれながら懐かしくぺちゃって、
お次はたかえ叔母も加わり頓野へと。
頓野ではすみこ叔母のご亭主と息子の善くん、
その奥さんが歓待してくれ、緑茶やらコーヒーやら抹茶やら、菓子やらで
わしらの腹は、たぽたぽになってしもうた(;一_一)
あ、いや、と、同時に
温かさと懐かしさと嬉しさで、心もいっぱいになった。
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で、善君と叔父が、すみこ叔母の待つ病院まで送迎してくれ、
3人の後期高齢者たちの再会が果たせた。
わしと姉ちゃんは、叔父の車で着いたので、
少し遅れて病室に入ると、
既に2人の後期高齢者は、着いており、
病のベッドの傍らに座り何やら囁くように
、たどたどしく会談しておった。
最初ごろは、ばぁちゃんがすみちゃんの手を握り…
この光景を見たわしは、まさに青天の霹靂のごとくに驚いた=( =`д´= ;)⇒

ばぁちゃんは、そのような人の手を握り
「がんばってね」みたげなことをするような
ばぁちゃんでは決してない。
そのばぁちゃんが、すみちゃんの手を握っているのだから、
余程すみちゃんに会いたがっていたし案じていたのであろう。

しばらくすると、たかえ叔母まで手を握りだした。

手を取り合う3人の女後期高齢者たちの醸し出すオーラ。

「うちら、いつまで生きられるか分からんとよ。
ばってん、離れとぅけど、一緒にがんばって明るく生き抜いていくとよ」
という、決意みたげなもんを感じ取ることができた。

この3人の結束を見ていると
、わしゃ、何故かスリーディグリーズを思い出した。
キャンディーズでもそら良いのだが、
もうちと渋めのところでスリーディグリーズを主張したい。

ご存じだろうか、スリーディグリーズ
かっこえかった、あのはもり❤
あ、いや、そげなことはどうでもええんじゃが、、(^^ゞ

で、この3人の後期高齢者は、ひとしきり決意を固め、別れに入った。

「へぇならの、また来るけんそれまでに元気になっとりぃよ」
と、たかえ叔母とばぁちゃんは、果たせんかもしれん約束を交わし、
すみちゃんに別れを告げ、部屋を出て行った。

で、話はとぶが、
ばぁちゃんは、悲しいぶにやら嬉しいぶにやら感動するぶにのドラマを見たり、
話を聞いたりして、涙を出し、鼻をすする時、
決まって右手の人差し指の付け根の甲の側の関節部分を、
鼻の孔の右側から当てて、左側へ素早く移動させこすり付ける癖がある。
その際、決まって
「ちゅべっ!」言う音を出す。

話を元に戻す。

で、ばぁちゃんとたかえ叔母が部屋を出るとき、
ばぁちゃんは、
その

「ちゅべっ!!」をやった!!

しかも、いつもよりも、ずんど勢いがよかった。
みごとじゃった!!(゜▽゜人)

それを見た瞬間…

それまでのわしの欲望は、全部満たされた。
と、同時に、



気が付いたら

わしも・・・


「ちゅべっ」
をやっとった(ノ△T)

でぶと喧嘩までしたが、
でも、
行けてよかった、、、


直方。。

それと
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by chirumegu | 2011-07-28 15:17 | 生きとるね | Comments(12)
2011年 06月 28日

こないだの京都

こないだ京都へ行ってきた。
あちこち歩いた合間に
これ山アジサイ言うんじゃと^^
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へぇから、このぶに…
わしゃ、初めて見た。
蔓のあじさい。。
目立たんが、大木にずっと上の方まで這うあじさい。
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プレビューで見たが、
あんましよぅわからんのぅ。
あの樹、、檜じゃったと思うんじゃが、

お百姓のみのるさんが教えてくれた。
「ありゃぁ、あのあじさいに養分を吸い取られてやがて枯れて行くんよ」
か、かわぃそうじゃ(ノ△T)

檜にとっちゃぁ、むげぇ話じゃが、
でも、あじさいも生きるために必死じゃ。

自然の摂理じゃのぅ。。
で、自然でもひとつ初めて見たもん。。

嫌いなお方にはすみません<m(__)m>
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by chirumegu | 2011-06-28 22:02 | 生きとるね | Comments(4)
2011年 06月 19日

しげちゃん

楓の花

尾崎宍夫:作歌
松坂検校:作曲

花の名残りも嵐山、
梢々(こずえこずえ)の
浅緑(あさみどり)
松吹くかぜにはらはらと
散るは楓の花ならむ
井堰(いせき)を登る若鮎の、
さ走る水の水籠り(みごもり)に、
鳴くや河鹿(かじか)の声澄める
大堰(おおい)の岸ぞ懐かしき
川上遠く時鳥(ほととぎす)
忍ぶ初音に憧れて
舟さし登し(のぼし)見にゆかん
戸奈瀬(となせ)の奥の岩つヽじ


しげちゃん、

のぅ・・・
早ぅ帰って来てくれぇや。

のぅ、しげちゃん。
しげちゃんの具合が悪ぅなってから、
S邦楽クラブではわしがしげちゃんの代わりを務めにゃならんよになったで。

いっつもしげちゃんとツレになっとった
大和町のえみちゃんは、「右腕をもがれたような」
と、言うて困惑の渦に溺れとる。

こないだもしげちゃんの代わりに京都まで2人で行って
福盛先生やら諸先生方についてお琴弾いたし、、

それが済んだ思うたら、今度は
けんみん文化祭にでるぶに、
「楓の花」の替手を一からやり直しじゃ。
わし、今まで本手の方をやっとったけぇのぅ。

京都に行った時、福盛先生が仰ったんよ。
「弾けるようになるには、百回練習しなきゃだめよ」
「一日五回練習したら、二十日で百回でしょ。」
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・・・・
・・・・
・・・・
福盛先生が百回なら、わしゃ、十万回弾かにゃならんゎ(┳◇┳)
毎日十回練習しよるんで。
曲をいただいてから昨日で九十回。

みんなで合奏したぶにをテープで録ったものと
合わせて弾いてみるもののさっぱり弾けん。
やっぱ本気で十万回練習せにゃならんゎ。
気が遠ぅゆぅなるよな(-公-、)

が、すかすじゃが、それでも所々合うところがあると、
感激の涙涙で、立ち直れんぐらいになる。。

しげちゃん、この曲をよう弾きよったのぅや。
わしゃ、しげちゃんの代わりができんかもしれん(-公-、)
が、がんばってみるけん、
しげちゃん、早ぅに、ようなって帰ってきちくれや(-公-、)

今日のお昼からは、S町民文化祭。
「楓の花」ではないけど、しげちゃん不在の邦楽クラブで、
宮田耕八朗編曲の「編曲春の海」
弾いて来やんす。

いつかきっと、しげちゃんとえみちゃんと3人で一緒に弾こうで。
宮城道雄作曲のむずいぶにの「春の海」
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by chirumegu | 2011-06-19 09:39 | 生きとるね
2011年 05月 23日

すげぇじゃん、にっぽん!!其参

今回の地震・津波の大災害の起こる様子、そしてボランティアの人々の活動や放射能の問題の番組をテレビで見ながら、広島に生まれ広島で育ったわしは、やはり原爆のことを思わずにはいられない。
其弐で書いた
あるじーさが、病の床にあり、病の苦しみの中から吐いた言葉。
それは
「土徳」という言葉。

このじーさにも当たり前のことではあるが、人並みに子供時代があり青春時代に恋もし、そして人並みに結婚もし子供も授かり中年時代を経て老人になり病の7年を過ごし、死を迎えた。

じーさは広島に生まれ、理由ありで他所の土地で育ち、また、原爆当時も広島にはおらず、両親、4人の姉弟を一瞬にして失い、1人生き残っていた弟とも34年後に死に別れ、以来原爆で自分だけ生き残ったという後ろめたさや家族を亡くした悲しみを背負いながらまたそんな感情をひた隠しにして72年の生涯を生きてきた。人生の後半は妻と共に。。
 原爆当時の広島のことについてひと言も語りたがらなかった男が、老人になり病の床にあって宣。

**************

広島に原爆が落ちた。
時にじーさ17歳。
他所の地にいたじーさは、「何でも広島に大きな爆弾が落とされたげな」
…当時の情報網では、それぐらいしか知ることができなかった。

父は、母は、姉は、弟妹は・・・
喘ぐほどの大きな不安の毎日だった。
やっとのことで帰る手筈を整えることができ、
手に入ることが困難な切符もやっとのことでとって、
原爆直後の広島に帰り着き
列車から降り立って目の前に広がるのは
果てしなく続く焼け野原だった。
廃墟と化した光景には、あの懐かしい故郷はなかった。

家族を探して歩き、道なき道を歩き、
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そこら中には焼け焦げた遺体の山、
変り果てた故郷の目に入るもの全て、
驚きも悲しみも何も感じることなく空虚じゃった。

やっとのことで、親戚の叔父に逢え、
まだ幼かった妹のカズコが親戚の家で、原爆症の症状で苦しみ、
どんどん抜けていく髪を見て泣きそうにまた苦しそうに
「この髪・・・また生えてくるかね?」と、
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ぽつりと言うて死んでいった話を聞いた時にゃわしゃ、
涙が止まらんようになったゎぃ。

家族は7歳の弟以外皆死んでしもうて。
その当時の広島は、そこに住めるかどうかが全く見当もつかなかったという。

じーさにしてみれば、そこにおって当たり前の家族を失い、
そこにあって当たり前の家も地域のみんなも全て失ぅてしもうて、
でも、そげなもんはじーさだけじゃのぅて、
みんながみんなそげなかった。

もう何から手をつけてええのやら・・・
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でも、落ち込んで泣いてばかりいたんでは何も始まらん。
ちょっとずつ、ちょっとずつみんな動き出した。

廃材やら鉄くずを集めて「バラック」と呼ばれる建物をつくりそこに住んだ。
親戚の叔父やら叔母やら地域の人やら集まって、みんなで地域を再生していった。

17歳のじーさがいっぺんに家族を失い、悲しみやら後ろめたさやら、家の再生という責任の重圧
そげな有象無象の感情をどうやって乗り越えていったんじゃろかと、聞いてみた。

じーさは、それは「土徳」じゃと言うた。

広島なら広島。世羅なら世羅。K山ならK山。
福岡奈良いや・・・もとい福岡なら福岡、山口なら山口。東京なら東京。
福島なら福島。北海道なら北海道。

その土地の風土、伝統、文化、慣習、その地域に昔から伝わる繋がりや、
その土地の人たちの根性もあるかもしれん。
それらに恩恵を被ることを「土徳」じゃと、じーさは言う。

じーさの言葉・・・

「土徳はそこに育つものに影響を与える。
影響を与えられた人々はだんだん年をとって死んでいくので無いなる。
力も無いなっていく。
影響も与えられんようになる。
じゃが、その地域の人々にずーっと焼ついとるけぇ土徳だけは残り伝え続けられる。」

へぇで、じーさは、何もかんも失うたが、
故郷に残された「土徳」にお育てを受けてきたと。
広島の土徳があったけぇ、苦難も乗り越えてゆけたと。

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其壱で登場した、大工さんやペットさんの話。
はつこさんのお嬢の話。
大震災から色々な報道や番組を見たりしてきたが、
にっぽん人は、すげぇゎ。

何か行動にする人。
その人なりの色々な事情があって行動は出来なくても、
あれやこれや考えとる人。
東日本の方々はもちろん西日本の方々までも、
自分に出来ることをしとりなさる。

使わない電気のコンセントを抜いたりと、言うような節電したり、
茨木産の野菜があったら努めて買うようにしとる・・・とか
こないだサロンがあったのだが、
お年寄りまでもご自分で出来ることを一生懸命しておられる。
日本中が大震災で、動いとる。

助けるとか、支えるとか、ボランティアとか
そげなもんじゃのぅて、
もっと深いところで、
「他人事」じゃのぅて、「我事」として動いとる。
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にっぽんは島国で、狭いとかこまいとか、
もっと他所の国をみならえとか言われてきたが、
そげなにっぽんじゃけぇこそ、できることじゃねぇかのぅ。

同胞・・・はらから
これが、にっぽんの土徳じゃねぇかのぅ。

わしの知る限りでは
関東大震災、東京大空襲、大阪大空襲、広島原爆、長崎原爆、阪神淡路大震災…
今思いつくところはこれだけじゃが、数え上げればきりがない。

考えてみればにっぽんはこれまで幾多の苦難に遭いながら
そのたんびに乗り越えてきた国じゃ。

放射能漏れ、被災された方々への心身のケア、
数々の問題が山積みにあるが、
東日本大震災も、
にっぽんは、にっぽんの土徳で、乗り越えるに違いない・・・
と、思うた。

どっかのお国の風刺人形劇で
「日本は60年間も復興に向けた努力をしていない」
とかテレビで放映したと言うが、

そげに言われてもにっぽんが、わしは好きじゃ。
島国根性のにっぽんと言われても好きなんじゃっ!!
誰が何と言おうと、好きなもんは好きなんじゃっ!! (ノ`A´)ノ ⌒┫

きょん②風に・・・
なんてたってにぃ~っぽんっ♪

長くなりすみませんでした
そして、其参までお付き合いいただき、
ありがとうございましたm(__)m

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by chirumegu | 2011-05-23 22:28 | 生きとるね
2011年 05月 11日

すげぇじゃん、にっぽん!!其弐

この連休中に、広島県は、「呉」と言うところから
A谷のはつこさん一家がでぶを訪ねて来てくれた。

はつこさんは、でぶの幼友達で、高校までこのK山で育ち
呉に就職して呉で恋愛し、結婚し3人のお嬢に恵まれ、
娘もそれぞれの伴侶に出会い、孫も生まれ呉で仕合わせに暮らしておられる。


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じゃが、
両親も亡くなり郷里のK山には自分の身内も家もないので、
嫌じゃろうが、時々でぶを訪ねて来て下さる。
はつこさんは、はぎれがよくとても明るい人だ。

でぶと同じくらい恰幅がええ。
お互い「でぶ」と言い合えるぐらいの仲のお人だ。
性格はでぶみたげに「でぶ」ではない。(すみません、意味不明で(^^ゞ)

で、3人お嬢のうちのお一人が、仙台へ嫁いでゆかれたのだが、
今回の震災で、大変な経験をされたことを少し聞かせてもろうた。

あの地震が起き大津波がやってきて、
でもお嬢の住んでいる家は津波は免れるくらいの位置にあったので、
その日の晩は、ぐじゃぐじゃになった
電気も通わない暖もとれない真っ暗で
凍てつく我が家に生後7カ月になる「なっちゃん」と、
たった2人でじぃ~っと動かずおったそうな。



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次の日になると、余震はまだまだ続き、
家におっても危険じゃと言う事で、
避難所に逃げるよう命令が出て、
とるものもとりあえずなっちゃんを連れて逃げた。

その次の日には、
夫くんのお勤めの会社から
「他県に親戚のある者は即刻避難所から疎開するように」
そう言い渡され、夫くんを置いて
仙台からいっぺん新潟に行き、
そこから飛行機で大阪へ→新幹線で広島→呉へと
3日がかりでなっちゃんを連れて着の身きのままで帰って来たと。

地震が起き、津波が来てからの日々…避難所におった間、また、移動の間・・・。
その間、たくさんの見知らぬ方々から多くの助けをいただいたと。

ミルクがないだろうと言ってミルクやお湯を分けて頂いたり、
おしめがないだろとおしめを分けていただいたこともあった。
なっちゃんの寝る場所も確保してくださったこともあった。


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お嬢はそのことに感動と感謝をしておられた。
このお話を聴かせてもろて、わしも感動した。

「にっぽんでよかったね」と、言うと
「私も、心の底からそう思いました。みなさんが本当に温かかったです。」
泣きそうにお嬢が言いよった。

わしも、話が温か過ぎて涙が出そうになった。
にっぽんは、すげぇと、思うた。

放射能の問題、政治的なこと、東電がどうのこうの・・・とか
問題は山積みじゃし、
その解決策たるやあほなわしには到底分かろうはずはない。

確固たる確信はない。
だがしかし、にっぽんは必ず復興できると思うた。

と、同時に、11年前に死んだあるじーさが、病の床にあり、
病の苦しみの中から吐いたある言葉を思い出した。

そのある言葉というのは・・・

えぇ~っとぉ・・・

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長くなりそなので其参へとつづく。

お嬢のおかげで、「とほほ」がすっきりした連休を過ごしたわしです^^
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by chirumegu | 2011-05-11 21:19 | 生きとるね